「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

不平不満は伝えても、感謝の気持ちを忘れてしまう未熟な日々

今日、大学病院を受診しました。

領収書に令和と書かれてあったのを見て

私、令和まで生きたんだな

生きれたんだなと思いました。

 

今日の受診はガンの再発がないかの検査。

半年に一度行っています。

毎回不安になり検査結果に安堵します。

 

大きな大学病院には今日もたくさんの人。

病気の人、付き添いの人。

人であふれかえっていました。

 

みんな生きていくために来ているんだろうな。

告知をされた6年前。

生きていけるのかさえ分からなくて

さみしくてたまらなかった。

でも克服できて

あとは幸せに日々を送ればいいだけのこと。

 

だけど克服した私は、日常に不平不満を持ち

ピリピリしたりモヤモヤしたり。

 

でもそれはある意味幸せなことなのかも。

不平不満を感じることができるということだから。

闘病中だったころは

病気のことしか考えられなかったのだから。

 

それでも未熟な私は

克服したことへの感謝を忘れてしまう。

 

 

このところ旦那への不満がたまっていて

それを伝えればいいと分かっているけれど

私はそういうことが苦手で

何かを恐れて日々をごまかしていたように思えてきて。

 

受診までの待ち時間が異常に長くて

旦那にラインを送りました。

内容はこんな感じ。

 

今日も受診は不安なこと。

何かあった時のために

お互いが健康でいなければならないこと。

 

その前置きの後、一番言いたかったことを。。

 

 

娘に対して細かすぎて

娘がイライラしていること。

もう大人になったつもりでいる彼女が

自分で考え失敗して気づけるように

関わっていけばいいと思うこと。

まだ発展途上の彼女には

SOSを出された時にこそ

助けてやればいいと思うこと。

 

そしていっしょに住めるのも数年かも。

その間、家族で気持ちよく過ごしていきたいこと。

 

こんなことを回りくどく遠慮深く

プライドを傷つけないように

よく考えてラインしました。

 

私は病気になって

娘にさみしい思いをさせてきました。

だから以前に比べて体調が良くなった今は

娘との楽しい時間を過ごしたいと

強く強く願っているのです。

だから旦那にお願いしたかったのです。

 

 

受診して病院の帰り道。

 

たくさんの人が道やトンネルや橋桁を

作っているのを見ました。

こんなにも途方に暮れるようなお仕事を

暑い中してくれていることに

とてもありがたい気持ちになりました。

当たり前のように思っているけど

こうやって誰かが知らないうちに

過ごしやすいようにしてくれているのです。

 

そう思って旦那へのラインを思い返し

私は欲張りなのかなと少し後悔していました。

 

家についてラインを開くと

既読になっていました。

 

そしてもう一度送信。

 

お仕事お疲れ様です。

家に着きました。

検査結果は一週間後です。

 

それに返信が届きました。

満面の笑みのウサギスタンプ。

それを見てなんというか。。。

 

私の言っていることが伝わっているのか

不安を感じてきて

もう少しストレートに言えばよかったのかとも思ったり。

ウサギの微笑みにほっとしたり。

 

 

少しでも伝えられたことはよかったけれど

旦那に求めるだけではなくて

私も改善点があるのだと感じているのです。

 

結局のところ

正解は分からずに

また今日も帰ってきた旦那に

普通の声で「おかえり」と言うのだろうな。

娘には飼い犬のようにまとわりついて

「おかえり~今日は学校どうだった~?

今度の休みだけど~いっしょにどこか行かない?」

なんてワクワク話しかけるんだろうな。

 

そこへ旦那がまた細かいことを言わないように

ドキドキしているのは

娘が家を好きでいてほしいからなんだろうな。

 

私は旦那への感謝の気持ちを忘れている。

トンネルや道を作ってくれた人たちと同じように

旦那にも感謝しなければならないことが

日常の中にあるはずなのに。

 

なのに小さな不平不満を

旦那に持つと思っただけで

小さい自分が嫌になるのです。

 

大きい病気を克服してきたのに。

小さいなあ。わたし。

 

庭のつつじも満面の笑み。。。


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