「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

私のできることを 正しくそして暖かく

昨日の夕方のテレビで

とある番組のギリギリSPを観ました。

 

犯罪ギリギリで生きてる人たち。

バラエティ番組だからなのか

おもしろおかしく構成されてたけど

世界の貧困の酷さに驚かされました。

 

貧困の中で生きていくために

犯罪ギリギリの仕事をして利益を上げ

ギリギリの生活をしていました。

 

私がとても悲しかったこと。

ココロがぎゅーってなったこと。

それは子どもたちの映像でした。

 

子どもたちが学校にもいかず

石炭泥棒をして

家族の生活費を稼いでる映像でした。

 

インタビューを受けている子は

おじいさんの代から

石炭泥棒で生計を立てていると

当たり前のように言っていました。

 

石炭を乗せて通るトラックの運転手に

少しの代金を払い

荷台に乗せてもらいます。

走っている間に少しの石炭を道に落とし

トラックから降りたら

それを拾って帰り

それを売って稼いでいるのです。

 

その子はこんなことを言っていました。

「自分が稼がないと

 家族が食べていけないからさ。」

「トラックの運転手にお金を払えば

 石炭を盗ませてくれるって

 じいちゃんが教えてくれた。」

「石炭が少しぐらいなくなったからって

 だれも困らないからね。」

 

なんとなくその様子が

得意気に見えました。

 

彼にとっては

当たり前のことなのかもしれません。

生まれた時から

泥棒として生まれてきたんだと思うと

かわいそうで

腹立たしくて

悲しい気持ちになりました。

 

彼は学校を知らないかもしれません。

知らないから

望まないのかもしれません。

知らないというより

学校そのものがないのかもしれません。

 

一緒に見ていた娘が言いました。

「この子、日本に生まれてたら

 こんな事しなくてすんだよね。」と。

「そうだね。。。」と言うだけで

胸がいっぱいになり

何も言えませんでした。

 

その事を知ったからといっても

何もできずに

結局は記憶の奥底に押し込んで

また自分の日常を

過ごしていくだけなんだろうな。私。

 

もしもこの映像を伝える仕事に

携われたとしたら

こんなバラエティでは

取り扱わない。

もっと血の通った構成にしたい。

 

もしもだから

結局何もできてないのだけど

こんな風に感じた自分のことを

ちょっと良かったと思う。

 

でも

少しバラエティっぽくした構成にしないと

コロナ禍でただでさえ辛いなか

さらに暗くなるのを避けるため

意識的にそうしたのかもしれないけれど。

貧困の中

ギリギリに生きている人がいることを

たくさんの人に知ってもらうために

軽いタッチにしたのかもしれない。

 

でも私は軽いタッチが逆に

軽い気持ちでは見れなかった。

だから伝わったことになるのか

わかんなくないけど。。。

 

 

石炭泥棒の彼を救おうと思ったら

私に何ができる?

彼だけではない。彼ら。。。

 

世界ではたくさんの子どもたちが

貧困や戦争に苦しんでいる。

それを知っていても

なんにもできないんだ。

 

例えば

彼らを救うための何か

何かをするとか。。。?

 

他の子どもたちを救うために

何かするとか。。。?

 

一体何を?

 

 

だから私は

保育園の子どもたちを

大切に優しくたっぷりの愛情で

育んでいくんです。

 

それが私にできること。

 

私の出会える子どもたちが

ひとりでも幸せになれるように

暖かく関わっていきます。

 

その子たちが

これからの世界をよく観て

正しく暖かく

周りの人々を思いやって

よく考えて進んでいけるように。

 

それが私のできること。

 

 

今日も子どもたちをぎゅっと抱きしめて

優しく声をかけて

にっこり笑って

過ごします。

 

 

いってきまーーす!

 

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今日も暑いよ。