「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

成長は安心して間違えてもいい場所から

新聞のある記事に目が止まり

「ほんとそうやわ。」

とうなずきながら

何度も読んでいました。

 

その記事のタイトルは

「安心してまちがえや」

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記事によると

ある中学教諭が

生徒らを元気付けようと

学級新聞に書いた詩が

口コミで広がり

のちに絵本「教室はまちがうところだ」として

書籍化されたとのこと。

 

間違えを恐れずに

人の間違いを笑わずに

自分の考えを言い

みんなの意見を聞きながら

よく考えて話し合い答えを導き出す

そんな教育の大切さを

伝えてくれています。

 

その思いが全国に広がって

教育現場では今も尚

読み継がれているようです。

 

ただ

「間違えていい」

というメッセージへの反発も

あったようですが。。。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私の娘は小学生の頃から

正解だという確信がなければ

手をあげて発言することが

苦手な子どもでした。

 

間違えて叱られるのも

笑われるのも

恥ずかしいからです。

 

友だちの中でも

強く意見を通す友だちのとの付き合い方に

ずいぶん苦労してきた方だと思います。

 

それでも6年生の時

リーダー格の同級生から

「みんなで〇〇を無視するよ!」

とこわい指示が送られた時は

友だちとふたり

「私たちは無視はしない。」

と言って頑張っていました。

 

その話を聞いた私は

「よく頑張ったね。

 とても勇気があって素晴らしいよ。

 きっと無視された〇〇ちゃんも

 心強いと思っているよ。」

としっかり褒めた上で

 

「でも子どもたちだけでは

 どうしようもないこともあるから

 そんな時は先生やお母さんに

 助けを求めるんやよ。」

とよくよく話しました。

 

頼ることの大切さや

助けてくれる人がいることを

忘れないで欲しかったし

最悪の事態をさけるためです。

 

そしてこんな震えるようなこわい指示に

自分の意見を言える子に育ってくれて

感動したのを覚えています。

 

 

中学生になってからも

同じようなことがあり

娘がキッパリ断ったら

無視する計画が無くなったそうです。

 

授業で発言できなくても

こうやって自分の意見を言える子に

育ってくれたことの方が

私は何倍も何十倍も嬉しいです。

 

 

授業では

正解を言わなければいけないとか

間違えたら笑われるか怒られるという

発言しにくい雰囲気があります。よね?

 

間違えてもいいから

自分の意見をどんどん出せる授業であったら

どんなにいいだろうと思ったことも

よくありました。

 

 

 

娘の高校は進学校

学習の進み方も早く

予習が当たり前だったので

授業で習っていなくても

先生に当てられたら

正解を言わなければいけませんでした。

 

間違えても

わかりませんと言っても

叱られると言って

家で泣いていたこともよくありました。

 

学校は教わる場所ではないの?

学習する場所ではないの?

答え合わせをする場なの?

私は高校のやり方に

不信感を抱いていました。

 

そういえば

苦手な数学の問題が

全くちんぷんかんぷんで

答えを写して行った時

その問題を当てられて答えたら

「どうせ答えを写してきたんやろ」

と先生に言われたと

家に帰ってきてから

落ち込んでいました。

 

そりゃ写すのはダメなことだけど

写させているのは

先生たちじゃないのかな。

 

私は

「なんかおかしい。」

と思いました。

 

わからない子は

切り捨てられていると言う感覚を

持ちました。

 

そして

勉強していればそれだけで褒められ

高校生で育まれるはずであろう人間関係は

ノータッチの先生が多かったとも思います。

 

もしかしたら

これではいけないと思っておられた先生も

進学校の大学進学の実績を重んじられた

高校の在り方と忙しさに

それどころではなかったかもしれませんが。

 

勉強の前に

生徒との信頼関係でしょ。

勉強がわからない子を

ただ切り捨てるだけの場所は

学校じゃないでしょ。

 

保護者会に行っても

「目指せ!国公立大学

 目指せ!有名私立大学!」

という感じで

私は毎回飽き飽きし

居眠りしそうになりました。

 

そんなに有名な大学に行くことが

人生にとって大事なことなのか。

 

高校のときは

将来どんなことをしたいか考えて

その目標に向かって学べる進学を目指せば

それでいいんじゃないか。

それこそが大事なんじゃないかなと

思うのです。

 

実際私がそうでしたから。

有名大学でなくても

夢である保育士になれたわけですから。

 

 

娘が今でも

「あの高校に行って

 大人に不信感を持ったわ。

 頭がいいことと性格がいいことは

 関係ないんやわ。」

と言います。

これは本当に残念なことです。

 

でも

お母さんもその気持ちわかるよ。。。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

授業が安心して間違えていい場であれば

たくさん考えることができるし

意見を出し合えるし

話し合えるし

その中で見つけられるものも

たくさんあると思います。

 

最初から

正解を言える子ばかりではないし

人の間違いを笑うようであれば

笑った子も伸びないんじゃないかと

思うのです。

 

 

保育園でも正解を求める保育士は

残念ながらいます。

でもでも

たった数年しか生きていない子どもに

正解を教えて

正解を求めるって。。。

私は違うと思うんです。

 

たくさん間違えて

友だちとケンカして

自分の意見を出して

そうしてどうしたらいいかを

考えていける力を育んで欲しいと思います。

 

なんでも先回りして教えてしまうのではなく

自分でやってみて

失敗を繰り返すから

自分の身になるのだと思います。

 

危険なことはすぐに知らせますが

それ以外のことは

保育士はすぐに手を出さずに

やりたいようにやらせてあげて

助けを求めてきた時に始めて

ちょっとお手伝いしながら

自分でできるまで

お付き合いさせてもらうのが

いいと思っています。

 

 

保育園も幼稚園も

小学校も中学校も

高校も大学も

社会に出てからの研修期間でさえも

間違えながら自分のものにしていけるよう

先生や先輩や友だちがいるんだと

思います。

 

成長は

安心して間違えてもいい場所から

生まれるんじゃないかな。

 

 

私も母として保育士として

改めて気を引き締める思いです。

 

 

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