「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

喪中はがきで父を想う 泣き虫でごめんね

今日は

どうしても止まらない涙の理由を

お話しさせてください。

 

 

今年

父がガンで亡くなりました。

今日は喪中はがきを買いに行きました。

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3月に父が亡くなり

4月に私のガンの再発がわかった時は

お父さんに頼りたくて

たまりませんでした。

 

それでも周りの応援を受けて

なんとか頑張って治療しました。

 

治療中は

もう繋がらない父のLINEに

辛いことや検査結果を

送信していました。

 

決して既読にはならないけど

今も父にはいろんなことを

LINEで報告をしています。

 

 

先月

私の抗がん剤治療が終わりました。

 

治療が終わってから

喪中はがきを準備しなきゃと思いながら

なかなかできないでいました。

 

それは多分

楽しい作業ではないからです。

 

亡くなった父の喪中はがきを

こんな早くに作ることになるなんて

こんな悲しいことはないからです。

 

でもこれは

父の最後を知らせる

大事なお手紙。

 

ココロを込めて作ろうと思います。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

父は2年前の今ごろ

近くの総合病院の検診で

初期の胃ガンが見つかりました。

 

内視鏡手術を予定していましたが

それでは取り切れそうもない

ということで

開腹手術をしました。

 

初期だと言われていたのに

摘出された胃はかなりの大きさがあり

胃は全摘されていました。

 

父も納得していない様子でしたが

「全摘する必要があった。」

と医師に言われてしまうと

どうしようもありません。

 

それから父はその医師のことを

あまり信用していない様子でした。

今思えば

その時すぐに転院していれば

命が助かったのかもしれないと

思ってしまいます。

 

私がガンになった時

隣県の大きな大学病院を勧めた父。

父の胃ガンが見つかった時

なぜ私は父に

大学病院を勧めなかったんだろうと

後悔しています。

 

 

父は

術後、なかなか食べられず

すっかり痩せてしまいました。

 

しばらくしても

お腹の痛みがきえず

何度も通院しては

強い鎮痛剤を処方してもらい

しのいでいました。

 

CT検査もしましたが

異常なしと言われていました。

 

別の症状で

同じ病院の違う科にかかったとき

その科の医師に

お腹の強い痛みを相談すると

もう一度CT検査をしてはどうかと

提案されました。

 

その時の検査結果で

胃ではなく

他の箇所に

4センチほどの腫瘤が見つかりました。

 

最初のCT検査でも

2センチにも満たない腫瘤が

映っていたそうです。

 

「なぜその時に気づいてくれなかったのか。」

父も家族も

そう思わずにはいられませんでした。

 

そして専門の医師がいる

県内の大学病院に

転院することにしました。

 

胃の手術をした医師が

CT検査の説明のあとに

「じゃあもう

 胃の定期検診の予約は

 取り消しでいいですね。」

と言ったそうです。

 

 

胃の定期検診?

こっちはそれどころじゃないんやわ。

 

あんたが見落としたせいで

大変な箇所に

大きい腫瘤が見つかったんやわ。

 

なんで小さいうちに見つけてくれんかったん?

胃の方ばっかり見とったんじゃない?

見落としたんじゃないん?

 

 

もう一度病院へ行って

言ってやりたいって思いました。

 

医師も人間です。

見落とすことだってあるとは思うけど

なかなか納得は出来ませんでした。

 

 

すぐに紹介状をもらいましたが

大学病院へ行く頃には

父のお腹の痛みはかなり強く

初診で即入院となりました。

 

その時の医師に

「最初のCTでは

 見つけにくいものだったのですか?」

と聞くと

 

「うーん。見つけにくいと言えば

 見つけにくいですけど〜。

 ここにあるのが

 わかると言えばわかりますかねぇ。」と。

 

はっきり

「普通は見つけられますよ。」

なんて言ってくれないものなんですね。

同じ医師としては

そんなこと言えないんですかね。

 

父の腫瘤は大きな血管を

巻き込んでいたので

手術は出来ず

抗がん剤で小さくすることになりました。

 

 

あとから

私と母と妹だけが呼ばれて

こう言われました。

 

「ガンが小さくなることはほとんどなく

 手術はたぶん不可能でしょう。

 余命は

 治療をしなければ3ヶ月

 治療をすれば1年と言ったところです。」

 

私は泣きながら

「手術のできる確率は

 どれくらいですか?」と聞きました。

 

「2割くらいでしょうか。」

と言われましたが

今思えば0%に近い状態だったと思います。

 

 

それから退院して

訪問看護に助けてもらいながら

自宅で過ごしました。

 

父は

なんとか治そうと

抗がん剤治療をしていました。

 

病院へ送迎する私や妹や旦那たちに

「迷惑かけてごめんね。」

といつも言っていました。

 

食事は取れず

大きな点滴をずっと付けていました。

副作用も強く辛い日々だったろうと思います。

 

そんなに辛くても

私の身体のことを

いつも心配してくれていました。

 

体調がいい日は

私が持っていったものを

少しばかり食べてくれたり

話をしたりして過ごしました。

 

でも体調のいい日など

ほとんどありませんでした。

 

父は亡くなる前日の夜のトイレも

自分の足で歩いて

トイレに行っていたそうです。

最後まで立派な父でした。

 

 

娘がモデルになった

大学のパンフレットを見て

「自慢の孫だ。

 いろいろ教えたいことがあったなあ。

 卒業するまで

 生きていたかったなあ。」と

泣いたことがありました。

 

初めて見る涙でした。

その時私はマスクの下で

涙が溢れていました。

 

帰ってから娘は

ひとりこっそり泣いたようで

瞼が腫れていました。

 

 

治すことを諦めず

頑張っていた父でしたが

きっと不安で

ひとり泣いていたことも

あったのかもしれません。

 

でも家族にはそんな姿も見せず

治療に専念していました。

 

 

抗がん剤治療をしても

良くなることはないので

大学病院ではすることはもうないと

告げられた時

父はとても落胆していました。

 

それでも最後の命を

家でゆっくり過ごそうと

父が決意してから

1週間も経たないうちに

病状はさらに悪化して

母と私と妹で

父を近くの総合病院に連れて行きました。

 

肩をさする妹に

「気持ちいいねー。」と言い

手を握る私に

「気持ちいいねー。」と言っていました。

 

最後の温もりを

味わっていたんだと思います。

 

私はまた

父が家に帰ってくると思っていました。

 

その時は入院手続きで慌ただしく

父とあまり話もできず

ベットに寝た父は

そのまま病室に運ばれて行きました。

 

でも次の日には

意識がなくなって

息を引き取ってしまったのです。

 

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喪中はがきを前に

私は涙が溢れて

父に会いたくてたまらない気持ちを

どうしても抑えきれず

今日は泣いてばかりです。

 

父の気持ちを書いた

自分のブログ記事を読んで

父の思いや自分の思いを

振り返っては

泣いてばかりです。

 

泣いてもいいよ。

 

我慢しなくていいよ。

 

自分にそう言い聞かせて

泣きました。

 

 

お父さん。

会いたいよ。

悔しかったよね。

もっと生きたかったよね。

 

孫たちの成長も

見たかったよね。

 

お母さんの手料理も

もっと食べたかったよね。

 

大好きなゴルフもスキーも

まだまだしたかったよね。

 

 

あのね。 

お父さんの自慢の孫は

国試の勉強頑張ってるよ。

就職も決まったよ。

 

お母さんは相変わらず明るくて

毎日毎日料理して

私たちに食べさせてくれるよ。

 

お母さんが困ったことがあれば

私も妹も旦那たちも助けてるから

心配しないで。

 

なるべくお母さんをひとりにしないように

私も妹も会うようにしてるから

だいじょうぶだよ。

 

そして私はね。

お父さんが心配してた

癌の再発しちゃったけど

がんばったよ。

すごくすごくがんばったよ。

 

いつも病院に送迎してくれたよね。

でも自分で運転して通ったよ。

運転しながらお父さんを思い出して

助けて欲しくていつも泣いてたけど。

 

相変わらず泣き虫だけど

手術も治療も乗り越えて

元気になったよ。

だから心配しないで。

 

お父さん。

手術の日

私のベットの横にいたよね。

そばにいてくれてありがとう。

 

お父さん。

時々無性に会いたくなります。

 

相談に乗ってくれたり

面白いこと言ってくれたり

またそんなお父さんに

会いたくて会いたくて

たまらない時があります。

 

時間が経てば

だいじょうぶになるって思ってたけど

いつまでも会いたくて

泣き虫のままだよ。

 

お父さん。

私これからも

自分の生きる分を

大事に生きていくね。

 

いつも私の身体の心配をしてくれて

ありがとう。

私はいつまでも

お父さんに頼ってたんだね。

 

自分の足で生きていくね。

 

お父さん。

たくさんの愛を

ありがとう。

 

 

 

 

お読みいただいた皆さんへ。

ブログに自分の思いを吐き出して

気持ちの整理をして

自分の気持ちを大切にすることができました。

 

ありがとうございます。

 

泣き虫は治りそうにありませんが

これからもどうぞお付き合いくださいませ。