「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

お母さんがいるから大丈夫だよ

 

『自分は小さなことを気にしすぎて

 辛くなっている』ということを

 自分でもわかっているのに

 いろんなことが気になってしまって辛い。

 

これは娘の言葉です。

 

娘はいろんなことを受け止めて

流すことができない性格です。

 

人の表情や言葉

自分の態度や発信による相手の受け取り方

ウイルス対策や自分の身体の不調など。

深く考えすぎて生きにくいと思います。

 

 

これは

最近始まったことではありません。

小さい頃から繊細だった娘の特性を

私は感じ取っていました。

 

だからその特性に合わせて

かかわってきたつもりです。

 

 

娘が自分の思いを

ため込む前に

話をして吐き出すことは

今とても大切なことだと思います。

 

幸いなことに

不安があるとその日のうちに

「今日、電話できる?」

と私のところにラインが来ます。

 

「もちろん!」と言って

その日のうちに話ができるようにしています。

 

 

娘が小さい頃

フルタイム勤務だった私は

「その日の不安はその日のうちに聞く」ことを

大切にしてきました。

 

娘は私以外の家族がいる時は

大切なことは話してくれませんでした。

私とふたりでお風呂に入っているときか

布団に入るときに

ようやくその日の不安なことを

話してくれるのです。

 

友だちや先生に言われた傷ついた一言や

どうしたらいいかわからなくなっていること。

もちろん楽しいことも嬉しいことも。

 

イヤな気持ちは

帰ってきてすぐ言ってくれていいのに。。

と思ったこともあったけど

 

仕事から帰宅してすぐ夕飯を作り

ご飯を食べて

急いで皿を洗い洗濯を干す私。

娘と話しながら家事をしているとはいえ

私のココロがしっかり娘に向いていない時は

大切な話はできないでしょう。

 

娘とは毎日一緒に遊ぶ時間を

持つようにしてきたし

寝る前には娘の選んだ2冊の絵本を

一緒に読むようにしていました。

楽しく遊んでいる時は

そのことに集中しているので

やっぱり話すことはありません。

 

そこで娘が自分の不安なことを

私に話ができるように

お風呂に入るのも

布団に入るのも

必ず一緒にしました。

 

今日は元気そうだから大丈夫だと思っていても

娘から出てくる『今日の出来事』が

「聞けて良かった。。」

と思うこともよくありました。

 

 

全て聞くなんてできなかったでしょうけど

できるだけ取りこぼさず

聞くようにしてきました。

 

 

社会に出て働いていること。

一人暮らしをしていること。

これは繊細な娘にとって

想像以上にとても大変なことなのだと思います。

 

それをするためには

不安な思いを聞いてもらうことが

とても大事なんだと思います。

 

 

聞いている私は

聞いているうちに

「気にしすぎだよー。」と

言ってしまうこともありました。

 

その答えが

記事の最初に載せた言葉です。

 

『自分は小さなことを気にしすぎて

 辛くなっている』ということを

 自分でもわかっているのに

 いろんなことが気になってしまって辛い。

 

そうよね。

わかってるけど気になってしまうんだよね。

だから悩んでるんだよね。

だからお母さんに話してくれるんだよね。

「気にしすぎ」なんてひどい言葉だよね。

 

 

それからは

気にしすぎだと思える娘の訴えにも

「うんうん」と聞くようにしています。

 

そうすると娘の方から

「気にしすぎか?」と思い直すこともあって

その時は「そうかもよー。」と答えています。

 

 

人はなんらかの特性を持っています。

発達障害の本を読んでいると

特にそう思うのです。

 

発達障害と診断されなくても

怖がりの子

落ち着きない子

繊細な子など

いろんな子がいます。

 

その特性に合わせて

保育士は子どもたちに個別にかかわっています。

 

私が保育士として

担任している子どもたちにかかわっているように

娘にもかかわればいいんだと

最近ふと思ったんです。

 

そこまで娘にココロを寄せていたかなと

反省したんです。

 

社会人になって

一人暮らしをしていても

私の娘なのです。

 

成人していても特性がなくなったわけじゃなし

働いたり一人暮らしをしたりしている今でも

娘は自分の不安や悩みに

共感してくれる人が必要なのです。

 

娘にはどんなに小さな悩みでも

「気にしすぎだよ」と言われずに

話を聞いてくれる人が必要なのです。

 

 

親はいつまでも娘のそばにはいられません。

そばにいなくても

いつでも話を聞ける存在でいたい。

 

私の方が先にいなくなるでしょうから

私だけではなく

彼や友だち、仕事の方たち、主治医に

助けてもらうようになってほしいと思います。

 

 

しかし今

私は娘の母として存在しているのだから

できる限り寄り添って

楽しい時間を持ちたいと思っています。

 

 

今週末も娘のところに遊びにきました。

一緒に料理して一緒に食べたり

買い物やカフェに行ったり。

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そして夜になると

子どもの頃のように

不安な思いを話していました。

やっぱりこういう子なんだな。

 

 

自分の特性に気づいている娘。

どうやって過ごしたら生きやすいのか

自分で見つけられるように

できるだけのお手伝いを

していきたいと思っています。