「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

母と娘の時間

仕事を休んで

ゴロゴロしていてもいいのだけど

いい天気が私を呼んでくれて。

おまけに母がうちに来ると言うので

母を誘っていつもの公園に行きました。

 

 

暖かい陽射しの中

母と並んで歩きました。

母はいつも元気そうで

毎日料理をたくさん作っていて

楽しそうにしているけど

歩いている姿には

老いを感じました。

 

そんな老いた母に

私は不安な気持ちを聞いてもらったり

料理のお裾分けをもらったり。

 

「心配かけてごめんね。」と言うと

「何言ってるの。

 私はあなたのお母さんやよ。

 お母さんってそんなもんよ。」と。

 

 

私は

ココロの病で何度か入院もしたし

大病で心配もかけて

娘にはずいぶんさみしい思いをさせてきました。

 

ココロの病で4ヶ月も入院していたのは

娘が中学一年生の時でした。

 

一時的に外出を許され

娘と家で過ごし

病院に戻る時に

病院まで付いてきてくれた娘が

後部座席で私の手を繋いだまま横で寝ていて

その顔を見たら

涙が一筋流れていました。

 

あの時は本当に申し訳なくて

静かに泣きました。

家に帰りたいけど

娘のそばにいたいけど

退院できるほど元気になれず

やるせなくて

寂しくて。。。

 

ごめんね。

こんなお母さんでごめんね。

甘えさせてあげられなくてごめんね。

元気でいられなくてごめんね。

一緒にいられなくてごめんね。

 

何度も何度もココロの中で娘に詫びました。

 

 

私が今

母にしてもらっていることを

私はこれから娘にできるのかと思うと

とても自信はありません。

 

でも

娘を思う気持ちは同じ。

 

 

なんだ。

そうだよ。

私は今

なにをウジウジしてるんだよ。

『今』の時間をウジウジに使うなよ。

 

元気なら

娘と楽しむ時間に使いたい。

あの時の娘の寂しさを取り戻すことはできないけど

娘が流した涙を吹き飛ばすくらいに

『今』を娘との時間に使ったらいい。

 

もったいない。

ウジウジしてるなんてもったいないな。

 

 

母が別れ際にこう言いました。

「私、夜になるとなんとなく寂しくなって

 そんな時に料理すると気分が晴れるのよ。

 それを娘や孫に食べてもらえることが

 楽しいのよ。」

 

強そうに見える母でも

父がいなくなってからは

寂しかったと思うし

夜になると寂しくなる気持ちを

自分でコントロールしている母を

尊敬しています。

 

 

私も娘のことで何かできた時は

やっぱり嬉しくなる。

これからもそんな時間を大切にすればいい。

 

できるうちに。

 

時間には限りがあるのだから。

 

 

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公園に咲いていたマンサクと青空。

今日、母と一緒に観れて良かった。

 

もう春だね。