「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

どうしても悔やまれるけど

娘が小学2年生の学校祭のとき

ステージ上で大きな声が出ないからという理由で

セリフが一言(5文字)でした。

 

その理由を聞いたのは娘の口からでした。

娘が実際、担任からどう言われていたかは

わかりませんでしたが

傷ついていたと思います。

 

年長児のときは劇の主役をしたし

6年生の時の劇も

たくさんのセリフがありました。

 

でもこの2年生のときは

当日も本当に聞こえないくらいの小さな声でした。

 

娘には「お母さんまでちゃんと届いたよ。」

と伝えましたが

理由があるかどうかはあまり考えませんでした。

 

声が出せないのは

緊張していただけだろうくらいに

思っていました。

 

2年生は学校に行けない時期があったので

何か理由があったのかもしれません。

 

その時の私は学校に行ってほしい気持ちが強くて

わかろうとしていなかったのでは?

そう思うと本当に申し訳ない思いです。

 

 

年少児のとき

私の友だちと子連れで会ったのですが

何時間も私のそばから離れず

結局、子ども同士の遊びの中には

入れませんでした。

 

あの時も

人見知りだからだろうと思っていました。

 

そういえば中学の時も高校の時も

そして大学生のときも

思い当たることがいくつも浮かびます。

 

これらは娘の特性のひとつで

その特性に合わせたかかわり方が

もっとあったんじゃないか

なぜ気づかなかったんだろうと思うと

辛くなってしまいます。

 

娘は今も

数少ない信頼できる人以外には

自分の意見をなかなか伝えることはできないし

大勢の前だととても大人しいです。

 

最近は

『できるなら人と関わらずに生きていきたい』

と言うようになりました。

 

 

勉強とかどうでも良かった。。

人の気持ちを考えて行動するように言ってきたけど

それより自分の気持ちを相手に伝えられるように

かかわってあげれば良かった。。

 

そんなこと考えても仕方がないのだけど

ふっと浮かんできて

母としての自分のかかわりを

何度も何度も悔やんでしまいます。

 

 

でも。。

私は娘の今の不安を解決してあげられない。

 

傷ついて考えて立ち上がるのは娘自身。

私はヨロヨロしている娘のそばにいて

必要な時に支えてあげるのが役割りです。

 

だから。。

娘へのかかわりを悔やんで

何度も傷つくのはやめて

今どうしたらいいかを考えていけばいいかな。

 

過去は変わらない。

未来はわからない。

 

だから。

「今」

 

 

今からでも

娘が相手に言葉で伝えられたときや

悩んでも自分で決断したときは

「いいね〜!」と言葉をかけていこう。

 

もうすっかり成人しているけど

親の影響は受けると思うから

自分の体調を整えながら

できることをしていこう。

 

 

どうしたらいいのかモヤモヤして

泣いてしまうこともあるけど。

 

自分のことも否定せず

今できることを少しずつ。

自分のことを大切にすることも忘れずに。

 

 

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子育てを悔やむことって

誰でもあることなのかな?