「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

いろんなことを頑張りすぎない

今朝起きたら

フリマサイトに出品していた革小物が

ありがたいことに購入されていました。


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一生懸命作ったものを

気に入って選んでくださる方がいるって

嬉しくてありがたい。

 

はじめの頃は

私の作ったものでもいいんですか?と

恐れ多い感じでいたけれど

お嫁入りしていった革小物を手にとって

喜んでもらえると自信もついて

はりきって次々と作ってきました。

 

半年くらい前に

楽しんでいたハンドメイドを

頑張りすぎていることに気づいて

ふと手を止めました。

 

すると急に作る気力がなくなってしまいました。

そう。

楽しんでいたことなのに

いつの間にか無理していたんです。

 

最近、数点を製作して出品。

フォローしてくださっている方や初めての方が

選んでくださっていくつかお嫁入り。

 

やっぱりうれしいなあ。

 

このまま続けてハンドメイド品を出品すれば

嬉しさも少しばかりの収入も継続されるのだけど

だいたいが頑張りすぎてしまうので

今回は自分の気持ちに素直になってみた。

 

うん。

また作りたくなったら作ればいい。

 

 

いつだってそうなのです。

無意識なのだけど頑張りすぎること。

「ねばならない」に取りつかれること。

 

10年前に私が病気を発症したのも

たくさんの「ねばならない」に

支配されていたからだと思っています。

 

朝早く起きて手作り弁当を作らなければならない。

朝は出来る限りの家事を終わらせねばならない。

添加物の入っているものは使ってはならない。

野菜をたっぷり使った料理を毎日欠かしてははならない。

寝る前に娘と絵本を2冊読まなければならない。

娘の話は手を止めて聞かなければならない。

いい保育士でいなければならない。

などなど。

 

もっともっとたくさんのものに支配され

ココロも体も疲弊していました。

今考えれば無理してることは一目瞭然。

でも頑張りすぎていたことに気づかずに

体にいいことだと信じきっていました。

 

なんであんなにがんばっていたんだろ?

なんであんなに無理していたんだろ?

なんでラクに生きられなかったんだろ?

 

無理は気力でなんとかなると思っていたけれど

違うよね。

病気になるものなんだよね。

気づくにはリスクが大きかったな。

 

仕事をやめたり

旅行に行けなくなったり

娘の好きな料理を作れなくなったり

そんな日々が数年続いて後悔が尽きなかった。

 

治療して数年前からようやく

仕事を再開し

少しばかりの遠出ができ

娘の好きな料理もつくれるようになりました。

 

それは幸せなこと。

 

後悔は尽きないけど

頑張りすぎに気付いて改めたり

回避したりしていけるようになったんだから

これも大きな人生勉強だった思えばいい?

いや。

病気になる前に気づきたかった。

 

病気は辛いし

できればなるものではない。

 

だから頑張りすぎている人がいたら

無理していないか自分を振り替えって

少し頑張りすぎをやめてみるのもいいよと

声をかけてあげたい。

 

そして私。

頑張りすぎてない?

自分にも声をかけて

過ごしています。

 

ずいぶんラクに過ごせてるよ。

このままでいいよ。