私のお母さんは
3人の娘を育てました。
長女(私)
次女(2つ下)
三女(6つ下)
母は専業主婦で
父は平日は仕事で夜遅くになることもあり
亭主関白でした。
だから母はひとりで
3人の娘を
かなり厳しく育てました。
私だけのときは
子育てに余裕があったのかもしれません。
次女は生まれてすぐに大病をし
遠くの病院で入院していたため
私はおばあちゃんに
預けられていた時代がありました。
おばあちゃんは毎晩私を寝かしつける時に
哺乳瓶にカルピスを入れて飲ませていたので
私は全ての歯が虫歯になりました。
私の歯はかなり重症で
生え替わりの時期になると
麻酔で歯を抜かなければなりませんでした。
くらーい歯科医院の待合室も
診察台で歯を抜かれる感覚も
抜かれた後
口の中が血で真っ赤になっていたことも
覚えているけど
それが妹の入院中に
おばあちゃんに飲まされた
カルピスのせいだったとは
ずっと知らなかったです。
ただ母が私の歯を
とにかく早く抜かなければと思っていると
感じていました。
たぶん母は悔しかったと思います。
大事に育てた娘を
こんな虫歯にされたことを。
妹の大病も珍しいもので
その時代は成功率が低かったらしいです。
ある時小さなメモ帳を見つけて読んだら
闘病日記でした。
妹の体温。
心配でたまらないこと。
父が泣いてたこと。
それを読んだ時
私はひとりこっそり泣きました。
そして反抗期の妹に
見せてやりたいと思ったほどでした。
妹が退院してきた日のことも覚えています。
父も母もニコニコで
私も嬉しくて妹を抱きしめました。
でも
私と次女は2つしか歳が離れてないからか
いつものようにケンカをしていました。
母は平日の夕方は家の奥の台所で
夕飯を作っていました。
仲良く2人で遊んでいればいいのですが
ケンカをすることも多く
妹は強かったので
私は泣いてばかりいました。
母は
妹のことをイジワルと言い
私のことを泣き虫と言い
それぞれの思いを聞いたり
仲裁に入ったりしたことは
まったくありませんでした。
母はいつも私たちのことを見ずに
料理をしていた記憶があります。
家の奥の台所。
そして私と妹のケンカが酷くて
母も腹が立つと
2人でよく
台所のまだその奥のトイレに入れられて
鍵をかけられました。
2人して泣いて
出して欲しいと懇願しました。
私たちが散々泣くことで
母は気が済むのか
「今度から仲良く遊びなさい」
とかなんとか言って
また家の奥の台所へ行きます。
母の手料理はとても美味しくて
毎日の楽しみでした。
それが母の愛情だったのかもしれません。
たくさんのおいしいご馳走がいっぱいの
大きなお弁当箱は覚えているのに
母に遊んでもらった記憶はなくて
怒られた記憶ばかり。
母は私に習い事をたくさんさせていました。
辞めたいものは辞めさせられず
続けたいものは辞めさせられ
なんでも母の言われるままでした。
「ママお話聞かせて」という題名の
図鑑のような春夏秋冬にわかれた4冊の絵本を
ある日母が買ってきました。
私は読んでもらえるのを楽しみに
絵本を開いて絵を見ていました。
その絵本は2ページで1日分。
一冊で三ヶ月分の絵本でした。
寝る前に母がさっそく読んでくれると言うので
「このお話読んで」とリクエストすると
「だめ。今日はこのお話って決まってるの!」
とその日の日付のページのお話を
読んでくれましたが
お話も絵もいまいちで
2ページで終わるので
満足感もありませんでした。
母は読み終えると
さっさとその本を持って
寝室から出て行きました。
しかもその後
その本を読んでもらうことはありませんでした。
母は私が小学生になると
有名な童話を買い始めました。
先ずは1〜5の童話が棚に並びました。
ヘレンケラーなど絵のない童話たち。
私が好きなものを読もうとすると
母に
「だめよ。1から順に読みなさい。」と
言われました。
反抗する事をしなかった私は
母の言う通りに読みました。
4のトムソーヤの冒険は怖い場面もあり
なかなか進みませんでした。
そんなある日
家に母の友達がきて
母が話しているのを聞きました。
「1から順に読ませてみたけど良くないね。
簡単な話からとは限らないみたいね。」と。
小学1年生の私は
その言葉に落胆したのを覚えています。
母は私の気持ちを聞いて
ものを買ってくれるということはなく
母がいいと思ったものを身につけ
所持して使っていました。
三女は絵本をたくさん買ってもらっていました。
私は6つも違う妹の絵本を
小学生で楽しんでよく見ていました。
絵本を好きになったのは
母に読んでもらったからではなく
家に絵本が増えて
字が読めるようになったからでした。
私は保育園でも
子どもたちに絵本を読むのが好きです。
我が子にもたくさんの絵本を
繰り返し何度も何度も読みました。
保育園の子どもたちは
自分の読んで欲しい絵本を持ってきます。
私は必ずその子を膝にのせて読むように
しています。
あなたのために読んでるよとわかるように。
そうすると周りには友達が集まってきて
みんなも見る事になりますが
膝に座っている子は特別でうれしそうです。
周りで見ていたはずなのに
同じ絵本を持ってくることも多いです。
そんな時は
「さっき見てたでしょ?」なんて
絶対に言いません。
その子のために膝に乗せて
何度でも同じ絵本を読みます。
私もそうして欲しかったんだと思います。
絵本のことひとつとっても
母が厳しかったことを思い出してしまいます。
でも
私がココロの病になって
母が毎日のように夕飯を持ってきてくれた時は
とてもありがたくて
泣いて感謝しました。
「ありがとう。ごめんね。」と。
「私はあんたのお母さんやよ。
謝らんでもいいよ。
今は頼って。」といってくれた母。
子どもの頃
家の奥の台所ばかりにいた母。
そんな母が
手料理で私を助けてくれました。
母は厳しかったけど。
きっとひとりで三人も育てて大変だったのかな。
トイレへ閉じ込めるくらい
いっぱいいっぱいだったのかな。
それでも私は
もっと母に甘えたかった。
もっと母と遊びたかった。
だけど今は
お母さんに感謝をしています。
これからも元気でいて欲しいです。
小さい頃に厳しかったときの話は
まだまだあって
ここで吐き出すことは
私には意味があることだと思います。
それでも私は
そんな話をするたびに
私を育ててくれた母に
感謝をすることになるんでしょうね。
先日食べた母の手作りメンチカツ。
母は今も
家の前のほうにあるキッチンで
料理ばかりしています。