土曜日の休日。
朝食を食べ
なかなか重い腰が上がらない。
床を拭くタオルを
昨日から準備していて
拭き掃除をしようと決めていたのに。。。
そしたら仲良しのんちゃんのブログが
更新されていました。
なんとタイミングが良いことに
記事のタイトルは「永平寺をする」。
彼女の家では
床を磨き上げることを
「永平寺をする」と言うんだってさ。
なんてステキ!
さっそく私もまねっこ!の前に
歴史が苦手な私は
永平寺のことを
そんなによく知らないものだから
知ることから始めました。
⬇︎こちらが永平寺の公式サイトです。
https://daihonzan-eiheiji.com/index.html
永平寺の起源についてはこちら
永平寺は道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場です。初め、越前国の波多野義重(はたのよししげ)公の勧めにより、義重公の領地である越前国志比庄(しひのしょう)に移り、大佛寺を建立。1244年(寛元2年)、道元禅師47歳のときに永平寺と改められました。道元禅師は盛んに修行僧を指導されるとともに、修行僧が守るべき規則となる清規(しんぎ)を定められています。現在も当時のまま、その修行生活が続けられています。
永平寺は座禅修行の道場として開かれた禅寺。
そして現在も修行生活が
続けられているのですね。
⬇︎こんなわかりやすいサイトもありました。
https://family.php.co.jp/2016/07/post11.php
禅寺では掃除・洗濯・食事の準備や後片づけなど、人間が社会生活をする上で最低限必要な行為が「作務」として尊ばれ、実践されてきました。禅の大本山永平寺では今でも年齢や身分にかかわらず、大切な修行のひとつとして掃除が行なわれています。
永平寺では1年365日の毎朝、廻廊掃除とよばれる雑巾がけがあります。修行僧達は上から下へ、奥から入り口へ、という基本原則にのっとり本堂まで駆け上がり、山門まで素早くかつ丁寧に床板を拭いて降りていきます。毎日拭き上げられた床は作務の前からピカピカですが、それでもさらに磨きをかけます。既にキレイな場所を掃除するのは意味がないように思われますが、汚れていてもキレイであっても同じように磨くのが禅の掃除です。
ほほーーー。
禅の掃除ねーーー。
掃除をすると、たとえ始めは気分が淀んでいても次第にスッキリしてきます。床を磨くことはすなわち心を磨くこと、身体と心と環境は別のものではなくつながっている、という感覚が湧いてくるでしょう。目に見えず、触れることができない、想い通りにならないと思っていた心も、身体を動かし環境を調えることによって調えることができるようになるのです。
磨くのは自分の心だけではありません。汚れていても、キレイであっても変わらぬ態度で磨く、その姿勢はそのまま人間関係にも現れます。
床磨きをするとスッキリするのは
ココロも磨かれているんですね。
てなところで
準備しておいたタオルで
キッチンや廊下を
水拭きしました。
ええー。
無心で捗りましたとも!
あースッキリ!
今頃のんちゃんは
スッキリした気持ちで
サイクリングを楽しんでいるだろうなあ。
じゃ。
わたしも。
ダイソーで見つけた
スクラッチアートシート。
娘が途中までして
すぐにやめちゃったやつ。笑
私はこういう細々したことが
楽しいのであります。
そしてこんな仕上がりになりました。
白い線を削りながら
広い面も削ってみました。
思っていなかった色や模様が現れて
おもしろかったです。
100円でとても楽しめました。
あと3枚あります。
またお暇時間に楽しもうかな。
そして明日もまた
「永平寺をする」ことに決めてます。
思った以上にスッキリしたから。
そしてなんと言っても
明日は8のつく日。
今朝調べた情報によると
明日はサンパチ清掃の日です。
永平寺では3と8のつく日には自分とは関係ない場所をキレイにする「サンパチ清掃」なるものがあります。隣の家の前の落ち葉を掃いたり、カフェで他人が残したトレーを片づけたり、自分とは関係なさそうな場所をキレイにする日を決めておくのがポイントです。
定期的に続けていると、そのうち「自分とは無縁の場所」などはどこにも存在しないということが感覚的にわかってきます。すると全ての場所が愛おしく感じられ、いつでもどこでも自宅にいるような安らかな心持ちでいられるようになるのです。掃除だけでなく、電車で人に席をゆずる、後ろの人のためにドアをあけておくなど、他人が困っているときは心を磨くチャンスです。常に清々しい心持ちでいられるようになるでしょう。
自分とは関係のない場所の清掃。
掃除をすることによって
愛おしく感じられるんですね。
そして無縁な場所などないことを
感じられるなんていいですよね。
明日の掃除場所
どこにしようか決めておこうと思います。