「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

お父さんの納骨法要 ずっと思っているね

朝からお天気が良く

陽射しがとても明るくて

気持ちの良い1日でした。

 

今日は

父の納骨法要を

無事取り行えました。

 

葬儀を終えてから納骨の今日まで

父はお骨となって

実家にいてくれました。

 

今日の納骨法要に来られない娘は

昨晩実家へ行き

父に手を合わせていました。

長い間父と話していました。

娘は目が赤くて

泣いたようでした。

 

それを見た母が

こっそり私にこう言ったのです。

「おじいちゃんの遺影見てたら

 涙出るんだろうね。

 私もそうやもん。」

 

え?

えーーー??

強い母からは

涙を想像できていなかった。。。

ごめんね。お母さん。

 

そりゃそうか。。。

長年連れ添ってきた人とのお別れ。

寂しくないはずがないよね。

 

 

納骨はお寺でさせていただきました。

仏様に見守られ

とてもありがたい気持ちでした。

お父さんも喜んでくれたと思います。

 

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御住職がこんなお話をされました。

「このお寺は柱で建っていると思ったら

 そうではないんですね。

 お寺に来ていただいている人たちに

 支えられているんです。

 皆ご縁によって

 支えられているんですね。」

 

ほんとだな。

お父さんとも縁があって

親子になれたんだ。。。

とても感謝しています。

お父さんありがとう。

 

そしてこんなお話も。

「先日こんなふうに思ったのです。

 今日1日なんかぼーっと過ごしたなーと。

 こんな私の1日と

 病気の方の1日は

 重さも長さも違うんじゃないかと。

 ご病気の人は

 明日1日生きるということを

 毎日願っておられるのに

 私たちは当たり前に

 明日も生きられると

 思っているものです。」

 

私は大病もして

生きることは当たり前ではないことを

身をもって感じたのに

繰り返しの毎日の中で

明日はまた来ると思っています。

 

毎日を愛おしく大切に過ごそう。

お話を聞いて

そう思いました。

 

 

父のお骨は

お墓の中に入って行きました。

それに寂しさは感じませんでした。

 

父は

痛みも苦しみもなくなり

自由になったと思います。

よかったね。

お父さん。

 

それにきっと私たちのことも

見ていてくれるというココロ強さも

感じています。

 

 

法要が終わると

実家で精進料理をいただきました。

 

母が

「コロナだし

 みんなお料理は持ち帰って

 自分の家で食べたらいいよ。」

と言っていましたが

母をひとりにするのは心配で

みんなでワイワイいただきました。

 

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「お父さんだったら

 きっと〇〇って言ってるね。」と

みんなで父のことを思い出して

みんなで父のことを話しました。

 

 

納骨の日は

お父さんとお別れしなくちゃと

思ってきたけど。。。

 

お父さんとのお別れは

ずっとしなくていいのかもしれません。

 

ずっと思っていようと思います。

 

お父さん。

今日はお疲れ様でした。

これからもよろしくね。