「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

医療費控除の申請に焦る

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早朝の空。

明るくなるのが

早くなりましたね。

 

日中は暖かかったけど

朝は霜が降りて寒かったです。

 

 

今朝は公園前で不燃物ゴミ当番。

 

そうこの体で。。。

 

不燃物を入れるボックスとか

立看板などを運べるはずもなく

旦那が仕事に行く前に

出してもらいました。

 

私はただ立っているだけ。。。でした。

 

こんな当番いる?

いや

いるんやよね。

 

分別をしっかりするために

誰かがやらなきゃならない仕事です。

 

 

今年度は班長なので

年に4回ほどしましたが

次の班長までは回ってこない。(はず)

次に回ってくるのは。。。

6〜7年後か?

 

もうすぐ還暦の頃?

それまで

ゴミ当番をできるように

元気でいなきゃです!!!

 

 

怪我人?の私は

テレビの前を陣取って

今日一日のほとんどを

録画番組を観ることに

費やしました。

 

いろはに千鳥に

華大千鳥に

千鳥かまいたちアワーを観ました。

(千鳥ばっかり。笑)

 

たまにはいいよね〜。

 

と言っても

話す人のいない時間が長いって

ストレスフルフルです(T . T)

 

 

やわやわ起き上がって

買ってあった鶏ひき肉に

豆腐を入れて

和風ハンバーグを作り始めました。

 

ハンバーグを混ぜるだけで

痛みが走る。。。

早く治れ。

私の体。

 

体調が悪いと

意欲もなくなりますよね。

元気でいることはほんと大事。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて

医療費控除の申請書も

ようやく作りました。

出来上がるまで

いろいろトラブルに見舞われて。。。

 

国税庁のホームページから

サクッと作れるし

毎年していることなので

さっさと済ませばよかったんですけど。

 

なかなかやり始めない私。

毎年です。

昨年は4月に提出してました。あは。

 

大したことないけど

めんどくさいのです。

 

でも医療費かかってるのでね。

やらんなんのです。

 

で。

 

まず

旦那の源泉徴収票が見当たりません。

ガーン(T_T)

 

提出はしなくていいことになったけど

金額がわかんないとね。

 

へーんなところから出てきました。

見つかって良かった。

 

でそのあと。

家のコピー機が壊れました。

壊れたというか

たくさんの線が入るようになりました。

 

娘の国試が終わった途端

壊れるって。

 

コピー機もホッとしたんかな?」

と娘が言ってましたけども

そうかもしれません。

 

国試勉強中じゃなくて良かった。

焦るよね。

 

ところが

医療費控除も一応15日までとなっているし

コピーできないと焦ります。

 

マイナンバーカードがあれば

インターネットで提出可能。

でもまだ交付申請

してないんです。

 

 

コピー機

何度も何度も

何度も何度も

クリーニング機能作動して

 

治れ治れ

治れ治れ

と祈りを込めました。(強めに)

 

だって

こんな出費時期に

買いたくないもん。

 

やっぱりだめか。。。?

だめなのかーーー?

 

 

でも。

ちょっと心当たりがあったのは

純正インクを使っていないこと。

 

互換性のインクは

誤作動を起こすこともあるらしく。

 

そこで純正インク黒だけ買い(黒だけ。笑)

入れ替えてみたんですけど

変わらない(T ^ T)

 

 

そんなことをしている間に

ワクチンの副反応でダウン。

そのあと筋肉の損傷でダウン。

やる気もZERO〜♪

 

 

コピー機

買い換えるか。。。

下取りってしてもらえんかな?

 

ジャンク品として

売れたりしないんかな?

 

そして昨日

最後にもう一度

もう一度だけコピーしてみると

 

 

 

お?

 

おー?

 

コピーできる!!!

 

やっぱり純正が良かったんですかね。

カラーは線が出てますから。

 

 

というわけで

確定申告書に

3人分の医療費を記入しました。

 

勝手に計算もしてくれて

楽ちんだわ〜。

 

はーーーい!

オッケー!

印刷でーす。

ポチッ。

 

ん?

 

ん?

 

消えたー?

 

消えた。。。

消えた。。。

 

え。。。

 

何した?私。

 

結局、復元もできず

再入力。

 

はあーーーー。

 

一難去ってまた一難。

 

 

娘が

「お母さんお祓いしてもらえば?」

って言ってたけど。。。

お祓いしてもらおっかな。

 

 

無事に印刷して

あとは持っていくばかり。

税務署のポストに

ポーイと入れるだけ。

 

入れるまで安心できないですね。

気を引き締めて行動します!

 

 

 

 

 

 

動けなくなって思ったあれやこれ

今週月曜日

コロナ3回目

接種しました。

 

火曜、水曜と2日間の発熱。

そして体の痛み。

カロナールロキソニン

乗り超えました。

 

こんなに副反応が出てしまうワクチン。

子どもたちに接種するのは

本当に安全なんだろうか。。。

やっぱり不安に思うワクチン。

 

 

 

そして昨日はようやく

熱も下がったというのに

今日は病院に行くことになりました。。。

 

なぜかって?(´;ω;`)

 

実は水曜日、発熱中に

ちょっと前かがみになった時

左骨盤あたりに

激痛が走りまして。。

 

「いたたたたたーーーー!」

と大声を上げて娘をびっくりさせました。

 

 

最初はワクチンの副作用なのかと

ものすごく心配しましたが

 

娘が解剖学のアプリを開けて

私の痛みのある所と照らし合わせ

「痛いのは腹斜筋か外腹斜筋かな?」なんて

説明してくれて

 

「ここ痺れある?これ感覚ある?」

「この体制がとれれば股関節は大丈夫。」

などなど診察?してくれて

 

自分の学んだことを生かして

考えられる病気を消していき

「筋肉の損傷とかじゃない?」と。

 

確かに肉離れが起こったような感じ。

骨が痛いわけではなさそうだし

内臓でもなさそうだ。

ワクチンの副作用ではないだろうと

少し落ち着きました。

 

娘が頼もしかったです(^^♪

 

 

まあいずれ治るだろうと

湿布を貼って寝たんですが

 

夜中は寝返りしようとすると

痛みで目が覚め

昨日はあまり眠れませんでした。

 

起き上がるのも

体をひねるのも

どうにもこうにも痛い。

昨日より痛くなってる。

 

これは。。。

一応。。。

レントゲンとかした方がいい?

 

わりと接骨院派なんだけど。

 

 

近くの整形外科は

ことごとく

2度と行きたくないところばっかで。

(先生の感じがイヤで)

 

結局

新境地を開拓するためにも

行ったことのないクリニックに

行ってみることにしました。

 

 

混んでいる。

めちゃくちゃ混んでいる。

コロナ禍にすごい混んでいる。

こわい。。。

 

 

でも心配だったので

めっちゃ待って

受診してきました。

 

そしたらですね。

話しやすいいい先生でした。

待った甲斐がありました。

 

受診結果は

 

「腹斜筋や腹横筋が

 切れたり傷付いたりしたんでしょう。」

「この体制がとれるんなら

 股関節は痛みと関係ないです。」

 

(娘の言ってたのとおんなじや!娘すごい!)

 

 

娘にそのことを報告すると

「いやいや。

 授業で習ったことやから~。」

と謙遜していましたが

立派だな~と感心しました。(親バカです)

 

大学四年間

しっかり学んでくれて嬉しいよ。涙

 

もうすぐ卒業式。

(コロナ下で保護者は参加できずだけど)

 

本当にお疲れさま。

よく頑張ったね。

 

あとは国試の合否。

早く教えて~~~。(待ちきれん)

 

 

今回起きた突然の筋損傷。

痛くて不安になったけど

娘が不安な気持ちを助けてくれました。

 

 

ところで私が動けなくなったことで

いちばん弊害が起きるのは

食事の支度。

 

抗がん剤治療の副作用で

涅槃像期間にも思っていたけど

「家事って誰がしてもいいんやよ」

ってことよ。

 

昨日、夕飯時間になっても

動けず横になっていると

「ご飯、食べんがか?」

と旦那が。

しかもちょいとキレている?

 

「いや。食べるよ。」

と答えると

冷蔵庫を開け閉めして

なにやら機嫌が悪くなっていく。

その様子を見て

やっぱり思ってしまったのよ。

 

「家事って誰がしてもいいんやよ」とね。

 

娘は冷蔵庫の中の残り物を

温め直したり配膳したりしていました。

旦那はおかずの物足りなさに

レトルトカレーを温めていました。

私が動かなくても

誰かが動けば食べれるでしょ?

 

 

布団に入り寝付けないでいると

「だいじょうぶか?」

と旦那が様子を見に来てくれました。

 

決して心配していないわけじゃない。

それは知っている。

 

ただ。

家事は私のすべきものだと

思っている節がある。

 

 

どうしようかな~。

だまって寝ようかな~。

諦めてるっちゃ諦めてるけどさ~。

 

 

「あのさあ。。。

 これからも私が動けん日はあると思うよ。

 そんな日の食事はどうしようって

 もう少し考えてほしい。。。」

 

 

言っちゃった。

言っちゃった。

 

無言で立ち去り

寝室へ消えていった旦那。

 

 

これまで何度もこんなことがあった。

旦那が気づくように

伝えてくるべきやったんかな。

 

子育てのように

旦那も育ててあげなきゃ

いけなかったんかもな。

 

私が何もかもすることが

当たり前になっていたから。

自分で気づいて動いてほしいって

ずっと思ってきたけど

そういうタイプの人ではなかったんやよね。

 

今頃気付いた。

 

いや。。。

気づいてよかったかもしれん。

ガンの再再発だってあるかもしれん。

(ないけどね)

 

お互い何があるかわからん年齢なのだから

ひとりで生きていける術を

持ってないとやよ。

 

でも。

今朝トマトジュースを

私の分まで温めてくれました。

言って良かったかもしれません。

少しはわかってくれたのかもしれません。

 

 

 

病院から帰って

娘を駅まで送り届けて

ふと空を見上げると

空がまぶしかったーーー!

 

今日はとてもいい天気なのです。

 

私も娘のデートに付いていきたいなあ。

(イヤ!そもそも動けんし!)

(それよりお邪魔やし!)

 

うらやましいなあ~。。。

 

私はお母さんが厳しすぎて

男子とのお出かけも

内緒にしてたなあ。(極秘任務)

 

空もまぶしいけど娘の青春もまぶしいよ。

娘よ。

今できることを精一杯

楽しむといいよ。

 

 

私もこんな動けない身体じゃいられないや。

しっかり治して

楽しいことしよう!

 

痛いけど急に元気が出てきて

駅の帰りに近くのローソンへ。

 

枝豆のおにぎりと

アイスカフェラテを買って

車の中で満喫しました。

 

「こういう時間もいいなあ。」

 

 

駐車場で食べてると

おじいさんが軽トラから降りてきて

ローソンの灰皿から

煙草の吸殻を拾って

吸ってました。。。

 

事情があるんやろうけど。

それはやっちゃいかん。

しかもコロナ禍。

でも私にはなんにもできない。

たとえ体が動けていたとしても。

 

 

その後ダイソーに寄ると

駐車場に停めてあった自転車の荷台の

発泡スチロールの箱を

カラスが激しくつついていました。

 

動くのは痛いけど

カラスに近づいて

追い払ってやりましたよ。

 

多少動けなくても

ココロが動けば

小さな人助けはできるね。

 

 

買い物した荷物を持って

車まで歩くとき

痛いのですごいスローで歩きました。

 

そしたら

日差しや風の心地よさを感じて。

 

いつもスタコラ歩いてるけど

もうすこしゆっくり生きても

いいのかもな~と思ったのでした。

 

 

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娘の引っ越しとコロナワクチン接種

日曜日に娘のアパートの引っ越し第二弾を

行いました。

第何弾まであるのかわからないけど(T . T)

 

第二弾は電化製品や棚やベッドを

入れました。

そして電気、水道、ガスの開始。

 

いよいよ住めるようになってきました。

 

賃貸だと傷が付かないように

気を張りますね。

床とか取付棚とか靴箱。

出来るだけシートなどを

敷くようにしています。

 

この作業が地味に大変で。。。

 

保育士だから?なのか

そういうことが得意な私が

率先して切りました。

 

シンク下の歪な形も

目分量で切ってたら

「え?お母さん。すごーっ!」

と娘が言ってました。

 

旦那は組み立て式のニトリの棚を

ひたすら黙って組み立ててくれました。

旦那がいなかったら

組み立て式も組み立たずに

途方に暮れていたでしょう。

 

 

あとは娘の好きなように。。。

 

と言いつつ

「テレビはこっち側に置いた方がよくない?」

なーんてひとこと言ってしまうんですよね。

 

ほんとこの口よく喋る。。。反省。

 

まあ

いち意見として述べてるだけです。

娘の好きなようにしてほしいですから。笑

 

 

娘の一人暮らしの準備が整ってくると

「ひとりでやっていけるのかなあ。」

と途端に心配になります。

 

お金足りるかなあ。

おかず作れるかなあ。

毎日きちんと食べるかなあ。

遅刻しないかなあ。

 

考えりゃキリがないですよ。。。

 

でも最後には

挑戦することが大事って思うんです。

 

娘の成長のチャンスですからね。

たくさんのことを経験してほしいです。

 

 

娘は心配症で怖がりなので

毎日電話がかかってきそう。

 

朝は家を出るまでに

すんごい時間がかかると思われます。

ガスやら電気やら窓の鍵やらエアコンやら

いろんなことが気になって

何度も確認することでしょう。

 

ドアの鍵を閉めて

駐車場に着いたら

もう一度確かめに行きそうだし(⌒-⌒; )

 

慣れるまで何かと大変な毎日でしょうね。

 

 

さて、引っ越し第二弾の次の日。

つまり昨日は

2人仲良くコロナワクチン接種をしました。

 

それが終わったら

副作用が出るまでの間に動けーーってことで

また必要なものを買い周り。

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家に着いたら

買い物で疲れたのか

コロナワクチンの副作用なのか

ふたりで爆睡しました。

 

 

今朝。。。

ふたりして発熱です。

 

 

娘はコロナワクチン3回目を

接種するかどうか

とても悩んでいました。

 

それはそれぞれの考え方なので

自分で決めればいいと思うのですが

(国試合格すれば)

4月から医療従事者になるので

その前に接種した方がいいのでは?

ということになりました。

 

 

コロナワクチンは

異例とも言える早さで

接種できるようになりましたよね。

 

コロナがこんなに流行れば

仕方がないことなのですが

安全性はどうなんでしょうか。

 

噂で

将来的に子どもが出来にくくなる

というのを聞いたことがあります。

 

もしそういう噂が本当なら怖いですし

でも今はその判断もできません。

 

また10歳未満の接種は

もっと心配になります。

我が子がその年齢だったら

どうしただろうか。

 

妹の子どもは

接種しない選択をしました。

安全性に不安があるからです。

 

でも

自分の責任で先のことを選べるのは

まだいい方なんですよね。

 

 

ウクライナの子どもたちを見ていたら

何も選べず

ただ逃げなければならない姿に

涙が出ます。

 

 

戦争を指示しているあの人

どうか正気に戻ってほしいです。

 

犯罪ですよ。

捕まらないのが不思議です。

あの人は自分の気分で

戦争をしているだけです。

そんな権限なんてないのに。

勘違いしてる。

 

人の命をどう思っているんだろう。

ぜんぶ大切な命。

誰かの大切な人。

 

 

当たり前だけど

『生きる』ということを

奪ってはいけません。

誰にもそんな権利はないはずです。

 

みんな懸命に

生きているんです。

 

辛いことがあったとしても

好きな人と一緒に生きて

楽しい時間を過ごすことを

望んでいるんです。

 

それは誰でも望んでいいことなんだと

私は思います。

 

 

当たり前のことのようで

当たり前のことではなく

ありがたく今を生きていきましょう。

 

 

 

お父さんの一回忌法要

3月3日。

今日はひな祭りですね。

我が家は特にひな祭りらしい事はなく

娘といちご大福をいただいたくらいです。

大きなあまおうのいちご大福

美味しかった。

 

 

昨年の3月3日夕方のこと。

手巻き寿司をする予定で

準備をしていたら

その前日に父が入院していた病院から

連絡があり

あわてて病院に行きました。

 

朝から意識がなかったとかで

私が駆けつけてすぐに

父は息を引き取りました。

 

意識がなかったのなら

朝から連絡が欲しかった。

コロナだから?

 

妹も娘も

間に合いませんでした。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

今日は実家で一回忌の法要を行いました。

みんなで集まろうと計画していたけれど

母がコロナだから娘たちだけでと言うので

私と妹(次女)が実家に行き

3人で父に手を合わせました。

 

お経を読んでいる時も

父のことを思い出して

涙が出ました。

 

亡くなる前日

病院で私の手を撫でて

「気持ちいいなあ。」

と言っていたのを思い出しました。

お父さんに会いたいなあ。

 

そんなことを思い出していたら

横にいた妹から

お腹の減る音がしていました。

 

「さすがだわ。」

 

法要が終わると妹が

「すーんごいお腹すいたーーー。

 音なったわーーー。」

と笑うので

私も思わず笑ってしまいました。

 

そのあと妹が母に

「お母さん、途中で寝とった?」

と聞いていました。

 

母は

「寝るわけないちゃー。

 お父さんのこと偲んどったわいねー。」

と言って

ふたりでまた笑っていました。

 

明るいふたりがそばにいてくれて良かった。

 

私が

「お父さんに会いたいなあ。」

と言ったのを

ふたりはスルーしてくれました。

これがふたりの優しさです。

 

 

私が最後にした父への親孝行は

父の納骨が終わってから

ガンの再発が分かったことです。

 

もし父がまだ生きている間に

私の再発がわかったら

父は心配したままで

逝かなければなりませんでした。

 

だから。。。

私のガンの再発が

父の死後で良かったと

今日も思っていました。

 

と言っても父はきっと

空から私のことを

案じてくれているでしょうけどね。

 

 

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法要の後は

近くのお店のオードブルを

3人で食べました。

 

「これお父さん好きそうだね。」

と言いながら。

 

お腹のすいていた妹も

母も私も

久しぶりに3人で囲んで食べました。

母が「楽しい。」と言っていました。

お父さんありがとう。

 

 

家に帰ると妹からメールがありました。

「お姉ちゃんのため息が多かったから

 心配になったよ。」と。

 

昨日ブログで書いたことに

私のココロはまだ支配されていたから。

父のガンは見落とされて

手遅れになったことも思い出していたから。

 

妹は難病を抱えています。

でも明るいです。

 

「楽しいことだけ考えることにしたから。」

と言っていました。

 

妹はエライです。

 

 

「ふたりで何か作ってお店に出さない?

 革小物でも布バックでも。」

と提案してくれました。

それも楽しそう。

 

時間が短くても

楽しく生きていけたらいいです。

 

落ち込んでる暇があったら

楽しくなるように

考えていた方がいいに決まっています。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

来年のひな祭りの日も

お雛様に会いたいです。

今度はみんなで集まりたいです。

 

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来年また会いましょうね。

 

 

 

A先生との再会 希少ガンになって思うこと

昨日

地元の総合病院の婦人科へ

行ってきました。

 

受診したのは娘です。

娘の症状は大したことはないのですが

念のために春休みを利用して

受診しました。

 

 

なぜその病院の婦人科へ行ったかと言うと

信頼できる医師(A先生)がいるからです。

 

A先生は女性の方で

とっても親身になって話を聞いてくれて

丁寧に診察してくださり

信頼のおける先生です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私は13年前(2009年)40歳の頃

地元の市民病院で受けた子宮がん検診の際

卵巣が4センチ程に腫れているのが

見つかりました。

(通常は2~3センチ程度らしい)

 

MRIの検査ではガンではなかったものの

長期的に服薬が必要と言われました。

その時の女性の先生は

とても威圧的に感じました。

 

「この薬を飲まないとガンになりますよ。」

と言われました。

 

私はその物の言い方に怖くなり

その医師のことを信頼できなくなり

通院するのも嫌になりました。

 

 

それで友だちの看護師に相談しました。

友だちは地元の総合病院の健診センターで

保健師として勤務していました。

現在はその健診センターの師長をしています。

 

健診センターに来る婦人科の先生の中に

とてもいい先生がいると教えてもらいました。

それがA先生でした。

 

友だちは

A先生に診察してもらったわけではなく

健診での接し方や話しやすさ

そして看護師間の噂話によって

「いい先生」と判断したようでした。

 

そのとき友だちは

悩んでいる友だち(私)がいて

今度A先生の診察を受けたいということを

直接話してくれました。

 

A先生は親身になって友だちの話を聞いてくれ

「私で力になれることがあれば。」

と答えてくださったのです。

 

私はすぐに市民病院で紹介状を書いてもらい

総合病院のA先生の診察を受けました。

 

 

A先生は私の不安な気持ちを

目をしっかり見て

ゆっくり丁寧に聞いてくださいました。

 

しかも気持ちが安定していたからか

腫れていたはずの卵巣が

正常な大きさに戻っていました。

 

A先生は定期的な検診を進めてくださり

半年に一度の定期健診を受けていました。

 

 

A先生の最初の診察から

3年半後(2013年)43歳の時のこと。

 

夕飯を終えてテレビを見ていたら

卵巣が突然痛みだし

総合病院に駆け込むと

卵巣は8センチになっていました。

緊急で摘出することになりました。

 

そのときA先生は当直しておられず

執刀してくださったのは

ベテランの医師でした。

 

医師と麻酔科医?と看護師。

オペ室にはその3人と私。

人手不足だからなのか麻酔の効きが悪く

痛みで叫びながらの手術でした。

 

味わったことのない痛さでした。

 

 

その時の病名は黄体出血と言って

卵巣の中で出血し腫れている病気でした。

原因は特にないとのことでした。

血腫と卵巣の部分摘出となりました。

 

この時なぜ部分摘出だったのかと言うと

執刀医はホルモンのことも考えて

良かれと思って

卵巣を残してくださったのです。

 

でも私は3年以上も卵巣の健診を受けており

卵巣は不安材料でした。

定期的に卵巣の検査をしていることは

カルテにも書いてあるだろうから

卵巣は全摘になると

勝手に思い込んでいました。

 

「全摘してください」と

執刀医に言えばよかったのだけど

痛みが尋常ではなかったことと

緊急手術で医師と話し合う時間も

ありませんでした。

 

手術が終わって執刀医から

「卵巣は残せましたよ。」と言われた時

愕然としながらも

考えてしてくださったことだと思うと

本当の気持ちは何も言えず

手術をしてくださったことに対しての

お礼の言葉を述べただけでした。

 

病理検査の結果

摘出した卵巣に

顆粒膜細胞腫が見つかりました。

 

卵巣ガン。

しかも顆粒膜細胞腫という希少ガン

 

執刀医はこの事実に驚き

顆粒膜細胞腫の事実を再度確かめるため

東京の病院へ検体を送り

再検査をすることにしたので

2週間ほど待ってほしいと言われました。

 

2週間?待てない。。。

 

不安でたまらなくなった私は

ネットで顆粒膜細胞腫のことや

卵巣がん専門の病院などを

調べたり電話したりして過ごしていました。

 

不安で押しつぶされそうになり

A先生に話を聞いてもらいたい気持ちで

父と一緒にA先生の診察を受けました。

 

A先生は私の不安を聞いてくださいました。

そして東京の病院での検査結果を

なるべく早く出してもらうようにすること

A先生も一緒に私の診察に関わることを

提案してくださいました。

 

診察が終わった後

父がこういいました。

「あなた(私)が話している間

 A先生は自分のことを一度も見ずに

 あなたのことだけ見ていたね。

 なんてすばらしい先生だろう。」

 

そのころまだA先生は若く

婦人科の中でも権限はなかったと思います。

それでも東京の病院からの検査結果は

驚くほど早く出て

執刀医から「顆粒膜細胞腫で間違いない」

と言うことを知らされました。

 

 

それから私は調べてあった隣県の大学病院で

手術することを決めていたので

その日のうちに

紹介状を書いていただきました。

 

A先生にはお礼を言う機会もなく

総合病院を後にしました。

 

 

その1ヶ月後。

隣県の大学病院で

顆粒膜細胞腫を摘出しました。

 

その前の手術で卵巣を部分摘出していたため

卵巣は大腸に癒着していました。

 

それでも

手術でガンは全て取り切れたからということで

抗がん剤治療はありませんでした。

 

 

それから8年間。

半年に一度の健診は隣県の大学病院で受け

再発することもなく

A先生に元気であることを伝えたいと

ずっと思っていました。

 

ところが昨年(2021年)4月51歳の時

顆粒膜細胞腫の再発。

ショックでした。

 

私は再発顆粒膜細胞腫摘出手術をしました。

抗がん剤治療は6クール。

治療は長くて副作用は辛かったです。

 

顆粒膜細胞腫は

8年経っても研究は進んでおらず希少ガン。

効く抗がん剤も分かっていないし

受けた抗がん剤は効いているかわかりません。

 

 

再発が分かった時

私は主治医にこう聞きました。

「黄体出血の手術をしたときに

 卵巣を部分切除したことで

 大腸に癒着したところに腫瘤ができ

 こぼれ落ちたガン細胞でいくつもでき

 今回再発したということですね。」と。

 

「そのとおりです。」と主治医は言いました。

 

 

やっぱり。。。

 

なぜあのとき

執刀医は全摘してくれなかったんだろう。

なぜ私は全摘してほしいと

言わなかったんだろう。

当直医がA先生だったら

全摘してくれていたのではないか。

 

たらればの話をしても

仕方がないのは分かっているけど

今でも悔やんでいるのです。

 

このことを誰かに話して

「かわいそうに」「お気の毒に」

と言われるのがいやで

こんなに詳しく話したことはありません。

 

今回こんなに詳しく話したのには

きっかけがあります。

それは

A先生と話ができ

自分のことをアウトプットして

見つめなおしたいと思ったからです。

 

 

実は昨日

娘がA先生との診察を終えると

A先生の次の患者さんがいない状態だったので

診察室をノックしてみました。

 

そしたら

A先生の診察室に入れてもらうことができ

A先生と話す機会が持てたのです。

 

 

私「先生。」

 

A先生「やっぱり○○さんの娘さんだったんですね。名前を見た時、もしかしてそうかなと思ったんです。」

 

私「私のこと覚えていてくださったんですか?」

 

A先生「覚えていましたよ。健診センターでお友だちの師長さんの顔を見るたびに、○○さん元気でおられるかな~と思っていたんですよ。私的なことは聞けないのでお話はしていませんでしたけどね。」

 

私「そんなに思っていただけていたなんて。。。」涙

 

A先生「とにかく座って。」

 (診察でもないのにもうしわけないなあと思いつつ、座らせていただきました。)

 

私「手術して8年経って、元気なことをA先生にお伝えしたいとずっと思っていたんです。それなのに去年再発してしまいました。抗がん剤治療もして頑張りました。今は元気です。」

 

A先生「8年もたって再発?そうでしたか。大変でしたね。でもよかった。」

 

私「あのときA先生が東京の病院の検査結果を早く出してもらえるようにしてくださったこと、本当に心強くて感謝の気持ちでいっぱいでした。先生には気持ち的にもたくさん助けていただいて、ありがとうございました。」

 

A先生「とんでもないです。そんなお力になれなくて、ずっと気になっていました。」

そう言って私の手を握ってくれました。

 

私「大学病院の先生には、今回の再発は、卵巣を部分摘出したことで、癒着があり、ガン細胞が散らばったのが原因だと言われました。これからも再発の可能性があると言われてとてもショックでした。でも私、今、生きてます。A先生に元気な姿をお見せすることができて嬉しいです。」涙。涙。

 

A先生「お力になれなくてごめんなさい。今はなんていう先生ですか?その先生ならガンのことに頑張っておられる先生ですね。これからもその大学病院に通われるの?」

 

私「通えるうちはそちらで定期検査していくつもりですが、こちらでお世話になることになれば、A先生にお願いしたいです。よろしくお願いします。娘のこともよろしくお願いします。」

 

A先生「もちろんですよ。」

 

私「診察でもないのに長々とすいません。ありがとうございました。」

 

A先生「いいえ。会えてよかったです。」

 

 

A先生は昔と変わらず私の目を見て

手をしっかり握って

暖かい言葉をかけてくださいました。

 

 

A先生。

こんなに愛のある先生に出会うことができて

私は本当に感謝しています。

 

A先生に再発の原因を知らせてしまったのは

良くなかったのではないかと

後悔の気持ちも湧きましたが

A先生にはすべて受け止めてほしかったんだと思います。

 

執刀医を攻める気持ちもないし

若かったA先生が尽力してくれたことや

私の気持ちを聞いてくれたことに

感謝の気持ちしかないです。

 

 

でも私は弱い。

 

なぜあのとき

卵巣を全摘してくれなかったんだろうと

思ってしまうんです。

執刀医はガンだとは思わず

良かれと思って卵巣を残してくれたけど。

 

私の卵巣はもう弱っていたのだから

卵巣の機能は大したことがないと判断して

全摘してほしかった。

そう思わずにいられない私は

あきらめが悪いんでしょうか。

 

もうどうしようもないことを

いつまでも考えていたって仕方がないことも

わかっているのに

時々そのことを考えてしまうんです。

そして後悔したり

悲しくなったりしてしまうのです。

 

 

医師も人間です。

判断に迷うこともあるでしょうし

医師によっては考え方も違います。

それによって

手術や治療方針は

変わって当たりまえなんでしょう。

 

だからこそ

患者は遠慮せず

セカンドオピニオンを受けていいし

自分で医療を選んでいいと思います。

ぜひそうするべきだと思います。

 

私みたいに後悔しないためにも。

 

 

A先生に会って話した昨日。

お風呂の中で一人で泣きました。

 

次から次へと涙がこぼれてきました。

 

A先生が私のことを覚えていてくれたこと。

変わらず暖かく接してくださったこと。

生きて会えてよかった。

 

そして再発の原因が

卵巣の部分切除だったことを

A先生に言わなくてよかったのかもしれない

という思いと

A先生には全て知っていてもらいたかった

という思いが入り混じって

結局どうしたらよかったのかと思って。

 

そしてやっぱり行きつくところは

卵巣を全摘してもらっていれば

再発なんてなかったんだと

確信したこと。

 

 

これからもずっとその不安を持って

生きていくんやなあと思うと

辛くて寂しくてたまらなくなります。

 

 

顆粒膜細胞腫の研究は

なかなか進まないと思います。

 

希少ガンであるということは

それで苦しむ人が少ない分

研究が後回しになるのかもしれません。

 

症例も少なくて研究も進みませんよね。

 

医療は進化していくというけれど

顆粒膜細胞腫の治療も進化するのかな。

 

私は顆粒膜細胞腫で死ぬのかな。

 

 

 

いやだ!

そうなるもんか!

 

数少ない顆粒膜細胞腫の患者さんの為にも

私は顆粒膜細胞腫では死なないでいよう。

 

 

お風呂の中で泣きながら

最後はそう思って

お風呂を出ました。

 

 

私は弱虫で泣き虫です。

ポジティブに考えようとしても

うまくいきません。

 

でも

家族と

娘と

まだまだやりたいことがある。

まだ一緒にいたい。

 

だから生きたいのです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ウクライナの戦争に対して

声を上げている方たちが

たくさんいます。

その方達のことを尊敬しています。

 

それは勇気のあることだと思うし

とても意味のあることだと思います。

 

そうやって多くの力が集まって

きっといい方向に動いていくのだと思います。

そう信じています。

 

 

ちょっと理解しがたいかもしれないけど

私の顆粒膜細胞腫との闘いも

それと似たような感覚があります。

 

ガンに隠れないで

私の体験や思いを発信することで

同じ病の人の力になれたら嬉しいし

顆粒膜細胞腫の研究が

もしかしてもしかしたら

進むかもしれない。

 

声を上げることで

何かが変わるかもしれないから

この記事をブログに更新することを決めました。

 

 

自分の想いがうまく伝えられているかわからないけど。

上手く書けている自信はないけれど。

 

 

これが今の本当の私。

昨日お風呂で泣いた本当の私です。

 

 

 

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空ってウクライナまで続いているんだね。

 

お願いです。

人を傷付けないで。

命を大切にして。

相手のことを考えて想って行動して。

しっかり愛を持っていて。

 

 

たくさんの愛や

たくさんの想いで

戦争もなくなるはず。

病も克服できるはず。

 

自分も周りの人も

大切にして。。。

 

大切にできる自分をしっかりほめて。。。

 

 

 

 

 

 

娘のいないたった1日

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今日は久しぶりのひとりぼっち。

娘がデートでいないので

私は娘の一人暮らしの準備を

進めました。

 

と言っても

なるべく娘にさせたいと思っています。

それも人生勉強ですからね。

 

ところがずーっと家にこもって

勉強だけをしていた娘は

友だちや彼氏と遊ぶ時間も必要です。

 

娘と計画を立てて

買い物に行く日などを決めています。

 

今日は

娘が決めたいものは買わない

娘にさせたいことはしない

と決めて

ちょこまか買い物してきました。

 

 

物干し竿とか調理器具とか。

ひとつひとつ選ぶ時

どういうものなら使いやすいかなとか

娘はこれを使うだろうかとか

考えます。

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蒸し器 シリコンスプーン フライ返し

 

そしてふと

「ああ、娘はこれをひとりで使うんやなあ。」

なんて思ったら

寂しくなってしまいました。

 

子どもの時

「お母さんとずっと一緒に暮らす。」

と言っていた時の娘の顔を

思い出していました。

 

いけない。

いけない。

 

一人暮らしは

娘が成長するチャンス!

 

絶対に寂しいなんて顔したらダメだ。

 

4月から新しい環境で

きっとまた大変だと思うから

私の登場回数はZEROではないと思われる。笑

 

だからまだまだ私は

娘のお母さんでいられるのだ。

 

なんならずっとお母さんなのだ。

 

そう思うと

ホッとして

娘のいない夕飯を

しっかり作りました。

 

とにかく野菜をたっぷり摂りたくて

山盛りサラダにしました!

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サラダは

レタス、玉ねぎ、塩キノコ、蒸しカボチャ、ブロッコリー、プチトマトで山盛りに!

娘の好きな卵ともやしの炒め物。

もずくと卵の味噌汁。

 

たっぷり食べたら

寂しさが少し消えました。

 

たった1日

いなかった娘を

こんなに待っている私。。。

 

 

おおーーー。

大丈夫かなあ。私。

 

 

なんとかなるか。

 

 

 

 

 

一人暮らしの準備開始

娘の国試が無事終わり

私も娘も安堵感でいっぱいで

ふたりで寝坊して

ふたりでグータラしてました。

 

もう腑抜けです。

 

実家で運動もできなかったので

それからは運動もお休みしてるし。

 

でも

食事だけはしないといけないから。

 

それに

おいしいもん作ってやりたい。

 

 

麻婆茄子を作ったら

「うんまっ!」って食べてた娘。

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次の日

「作ってみたい料理ない?」

と聞いたら

「麻婆茄子!」と。

 

「えー。いいけど。2日続くよ。」

と言うと

「じゃあ。麻婆豆腐!」と。

 

まあ。。。いいか。笑

というわけで

娘に麻婆豆腐の作り方を伝授しました。

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甜麺醤を使うと楽チンなので

一時期よく使っていたけど

中国産の調味料を使うのは

やっぱりやめていて

元の作り方に戻しています。

まあそれでも

そんなに面倒でもないのだけど。。。

 

娘にとっては

工程が多いらしいです。

 

味噌が少し多くなったようで

ちょっとしょっぱくなったけど

美味しかったです。

 

「失敗しながら上手くなるんやよ。」

と言うと

「えーーー。めんどくさい。

 毎日作るの無理かも。。。」

と、もう弱音を吐いてました。

 

 

一人暮らしで経験できることは

いっぱいあるだろうな。

失敗もいっぱいしたらいいよね。

 

 

今日はふたりで

娘の一人暮らしに向けて

いろいろ揃えるために

ホームセンターや電器店へ。

 

考えている時は楽しいけれど

ふと「いなくなるんだなあ。」

と思うと寂しくなります。

 

 

そして

PayPayにお金を入れても入れても

なくなっていく。。。

 

決して贅沢しようとしていないけど

揃えるとなると

お金が飛ぶように出て行って

懐も寂しくなってきてますよ(T . T)

 

 

今日はすんごく久しぶりに

ランチでスープカレーを食べました。

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4月からも

ふたりでランチできたらいいなーと

淡い期待をもっている私です。

 

 

4月からの娘がいない生活。

私、耐えられる自信がないけれど。

 

娘が独り立ちできるよう

目一杯応援したいです!

 

そばにいるだけが

成長を促すものではないでしょうから。

ね。

 

 

 

今はそれだけを思って

娘と一緒に準備を楽しもうと思います!