「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

A先生との再会 希少ガンになって思うこと

昨日

地元の総合病院の婦人科へ

行ってきました。

 

受診したのは娘です。

娘の症状は大したことはないのですが

念のために春休みを利用して

受診しました。

 

 

なぜその病院の婦人科へ行ったかと言うと

信頼できる医師(A先生)がいるからです。

 

A先生は女性の方で

とっても親身になって話を聞いてくれて

丁寧に診察してくださり

信頼のおける先生です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私は13年前(2009年)40歳の頃

地元の市民病院で受けた子宮がん検診の際

卵巣が4センチ程に腫れているのが

見つかりました。

(通常は2~3センチ程度らしい)

 

MRIの検査ではガンではなかったものの

長期的に服薬が必要と言われました。

その時の女性の先生は

とても威圧的に感じました。

 

「この薬を飲まないとガンになりますよ。」

と言われました。

 

私はその物の言い方に怖くなり

その医師のことを信頼できなくなり

通院するのも嫌になりました。

 

 

それで友だちの看護師に相談しました。

友だちは地元の総合病院の健診センターで

保健師として勤務していました。

現在はその健診センターの師長をしています。

 

健診センターに来る婦人科の先生の中に

とてもいい先生がいると教えてもらいました。

それがA先生でした。

 

友だちは

A先生に診察してもらったわけではなく

健診での接し方や話しやすさ

そして看護師間の噂話によって

「いい先生」と判断したようでした。

 

そのとき友だちは

悩んでいる友だち(私)がいて

今度A先生の診察を受けたいということを

直接話してくれました。

 

A先生は親身になって友だちの話を聞いてくれ

「私で力になれることがあれば。」

と答えてくださったのです。

 

私はすぐに市民病院で紹介状を書いてもらい

総合病院のA先生の診察を受けました。

 

 

A先生は私の不安な気持ちを

目をしっかり見て

ゆっくり丁寧に聞いてくださいました。

 

しかも気持ちが安定していたからか

腫れていたはずの卵巣が

正常な大きさに戻っていました。

 

A先生は定期的な検診を進めてくださり

半年に一度の定期健診を受けていました。

 

 

A先生の最初の診察から

3年半後(2013年)43歳の時のこと。

 

夕飯を終えてテレビを見ていたら

卵巣が突然痛みだし

総合病院に駆け込むと

卵巣は8センチになっていました。

緊急で摘出することになりました。

 

そのときA先生は当直しておられず

執刀してくださったのは

ベテランの医師でした。

 

医師と麻酔科医?と看護師。

オペ室にはその3人と私。

人手不足だからなのか麻酔の効きが悪く

痛みで叫びながらの手術でした。

 

味わったことのない痛さでした。

 

 

その時の病名は黄体出血と言って

卵巣の中で出血し腫れている病気でした。

原因は特にないとのことでした。

血腫と卵巣の部分摘出となりました。

 

この時なぜ部分摘出だったのかと言うと

執刀医はホルモンのことも考えて

良かれと思って

卵巣を残してくださったのです。

 

でも私は3年以上も卵巣の健診を受けており

卵巣は不安材料でした。

定期的に卵巣の検査をしていることは

カルテにも書いてあるだろうから

卵巣は全摘になると

勝手に思い込んでいました。

 

「全摘してください」と

執刀医に言えばよかったのだけど

痛みが尋常ではなかったことと

緊急手術で医師と話し合う時間も

ありませんでした。

 

手術が終わって執刀医から

「卵巣は残せましたよ。」と言われた時

愕然としながらも

考えてしてくださったことだと思うと

本当の気持ちは何も言えず

手術をしてくださったことに対しての

お礼の言葉を述べただけでした。

 

病理検査の結果

摘出した卵巣に

顆粒膜細胞腫が見つかりました。

 

卵巣ガン。

しかも顆粒膜細胞腫という希少ガン

 

執刀医はこの事実に驚き

顆粒膜細胞腫の事実を再度確かめるため

東京の病院へ検体を送り

再検査をすることにしたので

2週間ほど待ってほしいと言われました。

 

2週間?待てない。。。

 

不安でたまらなくなった私は

ネットで顆粒膜細胞腫のことや

卵巣がん専門の病院などを

調べたり電話したりして過ごしていました。

 

不安で押しつぶされそうになり

A先生に話を聞いてもらいたい気持ちで

父と一緒にA先生の診察を受けました。

 

A先生は私の不安を聞いてくださいました。

そして東京の病院での検査結果を

なるべく早く出してもらうようにすること

A先生も一緒に私の診察に関わることを

提案してくださいました。

 

診察が終わった後

父がこういいました。

「あなた(私)が話している間

 A先生は自分のことを一度も見ずに

 あなたのことだけ見ていたね。

 なんてすばらしい先生だろう。」

 

そのころまだA先生は若く

婦人科の中でも権限はなかったと思います。

それでも東京の病院からの検査結果は

驚くほど早く出て

執刀医から「顆粒膜細胞腫で間違いない」

と言うことを知らされました。

 

 

それから私は調べてあった隣県の大学病院で

手術することを決めていたので

その日のうちに

紹介状を書いていただきました。

 

A先生にはお礼を言う機会もなく

総合病院を後にしました。

 

 

その1ヶ月後。

隣県の大学病院で

顆粒膜細胞腫を摘出しました。

 

その前の手術で卵巣を部分摘出していたため

卵巣は大腸に癒着していました。

 

それでも

手術でガンは全て取り切れたからということで

抗がん剤治療はありませんでした。

 

 

それから8年間。

半年に一度の健診は隣県の大学病院で受け

再発することもなく

A先生に元気であることを伝えたいと

ずっと思っていました。

 

ところが昨年(2021年)4月51歳の時

顆粒膜細胞腫の再発。

ショックでした。

 

私は再発顆粒膜細胞腫摘出手術をしました。

抗がん剤治療は6クール。

治療は長くて副作用は辛かったです。

 

顆粒膜細胞腫は

8年経っても研究は進んでおらず希少ガン。

効く抗がん剤も分かっていないし

受けた抗がん剤は効いているかわかりません。

 

 

再発が分かった時

私は主治医にこう聞きました。

「黄体出血の手術をしたときに

 卵巣を部分切除したことで

 大腸に癒着したところに腫瘤ができ

 こぼれ落ちたガン細胞でいくつもでき

 今回再発したということですね。」と。

 

「そのとおりです。」と主治医は言いました。

 

 

やっぱり。。。

 

なぜあのとき

執刀医は全摘してくれなかったんだろう。

なぜ私は全摘してほしいと

言わなかったんだろう。

当直医がA先生だったら

全摘してくれていたのではないか。

 

たらればの話をしても

仕方がないのは分かっているけど

今でも悔やんでいるのです。

 

このことを誰かに話して

「かわいそうに」「お気の毒に」

と言われるのがいやで

こんなに詳しく話したことはありません。

 

今回こんなに詳しく話したのには

きっかけがあります。

それは

A先生と話ができ

自分のことをアウトプットして

見つめなおしたいと思ったからです。

 

 

実は昨日

娘がA先生との診察を終えると

A先生の次の患者さんがいない状態だったので

診察室をノックしてみました。

 

そしたら

A先生の診察室に入れてもらうことができ

A先生と話す機会が持てたのです。

 

 

私「先生。」

 

A先生「やっぱり○○さんの娘さんだったんですね。名前を見た時、もしかしてそうかなと思ったんです。」

 

私「私のこと覚えていてくださったんですか?」

 

A先生「覚えていましたよ。健診センターでお友だちの師長さんの顔を見るたびに、○○さん元気でおられるかな~と思っていたんですよ。私的なことは聞けないのでお話はしていませんでしたけどね。」

 

私「そんなに思っていただけていたなんて。。。」涙

 

A先生「とにかく座って。」

 (診察でもないのにもうしわけないなあと思いつつ、座らせていただきました。)

 

私「手術して8年経って、元気なことをA先生にお伝えしたいとずっと思っていたんです。それなのに去年再発してしまいました。抗がん剤治療もして頑張りました。今は元気です。」

 

A先生「8年もたって再発?そうでしたか。大変でしたね。でもよかった。」

 

私「あのときA先生が東京の病院の検査結果を早く出してもらえるようにしてくださったこと、本当に心強くて感謝の気持ちでいっぱいでした。先生には気持ち的にもたくさん助けていただいて、ありがとうございました。」

 

A先生「とんでもないです。そんなお力になれなくて、ずっと気になっていました。」

そう言って私の手を握ってくれました。

 

私「大学病院の先生には、今回の再発は、卵巣を部分摘出したことで、癒着があり、ガン細胞が散らばったのが原因だと言われました。これからも再発の可能性があると言われてとてもショックでした。でも私、今、生きてます。A先生に元気な姿をお見せすることができて嬉しいです。」涙。涙。

 

A先生「お力になれなくてごめんなさい。今はなんていう先生ですか?その先生ならガンのことに頑張っておられる先生ですね。これからもその大学病院に通われるの?」

 

私「通えるうちはそちらで定期検査していくつもりですが、こちらでお世話になることになれば、A先生にお願いしたいです。よろしくお願いします。娘のこともよろしくお願いします。」

 

A先生「もちろんですよ。」

 

私「診察でもないのに長々とすいません。ありがとうございました。」

 

A先生「いいえ。会えてよかったです。」

 

 

A先生は昔と変わらず私の目を見て

手をしっかり握って

暖かい言葉をかけてくださいました。

 

 

A先生。

こんなに愛のある先生に出会うことができて

私は本当に感謝しています。

 

A先生に再発の原因を知らせてしまったのは

良くなかったのではないかと

後悔の気持ちも湧きましたが

A先生にはすべて受け止めてほしかったんだと思います。

 

執刀医を攻める気持ちもないし

若かったA先生が尽力してくれたことや

私の気持ちを聞いてくれたことに

感謝の気持ちしかないです。

 

 

でも私は弱い。

 

なぜあのとき

卵巣を全摘してくれなかったんだろうと

思ってしまうんです。

執刀医はガンだとは思わず

良かれと思って卵巣を残してくれたけど。

 

私の卵巣はもう弱っていたのだから

卵巣の機能は大したことがないと判断して

全摘してほしかった。

そう思わずにいられない私は

あきらめが悪いんでしょうか。

 

もうどうしようもないことを

いつまでも考えていたって仕方がないことも

わかっているのに

時々そのことを考えてしまうんです。

そして後悔したり

悲しくなったりしてしまうのです。

 

 

医師も人間です。

判断に迷うこともあるでしょうし

医師によっては考え方も違います。

それによって

手術や治療方針は

変わって当たりまえなんでしょう。

 

だからこそ

患者は遠慮せず

セカンドオピニオンを受けていいし

自分で医療を選んでいいと思います。

ぜひそうするべきだと思います。

 

私みたいに後悔しないためにも。

 

 

A先生に会って話した昨日。

お風呂の中で一人で泣きました。

 

次から次へと涙がこぼれてきました。

 

A先生が私のことを覚えていてくれたこと。

変わらず暖かく接してくださったこと。

生きて会えてよかった。

 

そして再発の原因が

卵巣の部分切除だったことを

A先生に言わなくてよかったのかもしれない

という思いと

A先生には全て知っていてもらいたかった

という思いが入り混じって

結局どうしたらよかったのかと思って。

 

そしてやっぱり行きつくところは

卵巣を全摘してもらっていれば

再発なんてなかったんだと

確信したこと。

 

 

これからもずっとその不安を持って

生きていくんやなあと思うと

辛くて寂しくてたまらなくなります。

 

 

顆粒膜細胞腫の研究は

なかなか進まないと思います。

 

希少ガンであるということは

それで苦しむ人が少ない分

研究が後回しになるのかもしれません。

 

症例も少なくて研究も進みませんよね。

 

医療は進化していくというけれど

顆粒膜細胞腫の治療も進化するのかな。

 

私は顆粒膜細胞腫で死ぬのかな。

 

 

 

いやだ!

そうなるもんか!

 

数少ない顆粒膜細胞腫の患者さんの為にも

私は顆粒膜細胞腫では死なないでいよう。

 

 

お風呂の中で泣きながら

最後はそう思って

お風呂を出ました。

 

 

私は弱虫で泣き虫です。

ポジティブに考えようとしても

うまくいきません。

 

でも

家族と

娘と

まだまだやりたいことがある。

まだ一緒にいたい。

 

だから生きたいのです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ウクライナの戦争に対して

声を上げている方たちが

たくさんいます。

その方達のことを尊敬しています。

 

それは勇気のあることだと思うし

とても意味のあることだと思います。

 

そうやって多くの力が集まって

きっといい方向に動いていくのだと思います。

そう信じています。

 

 

ちょっと理解しがたいかもしれないけど

私の顆粒膜細胞腫との闘いも

それと似たような感覚があります。

 

ガンに隠れないで

私の体験や思いを発信することで

同じ病の人の力になれたら嬉しいし

顆粒膜細胞腫の研究が

もしかしてもしかしたら

進むかもしれない。

 

声を上げることで

何かが変わるかもしれないから

この記事をブログに更新することを決めました。

 

 

自分の想いがうまく伝えられているかわからないけど。

上手く書けている自信はないけれど。

 

 

これが今の本当の私。

昨日お風呂で泣いた本当の私です。

 

 

 

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空ってウクライナまで続いているんだね。

 

お願いです。

人を傷付けないで。

命を大切にして。

相手のことを考えて想って行動して。

しっかり愛を持っていて。

 

 

たくさんの愛や

たくさんの想いで

戦争もなくなるはず。

病も克服できるはず。

 

自分も周りの人も

大切にして。。。

 

大切にできる自分をしっかりほめて。。。