「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

寂しさを綺麗で埋めること

寂しい気持ちは誰にでもあるもの。

 

人はきっと寂しいから集って話して

家族を持って生きていくんではないのかなあ

なんて思うのです。

 

会いたい人に会えないとか

そういう具体的な寂しさを感じることもあるけれど

常日頃から感じてしまうのです。。。

 

人と話していても集っていても

なんとなく寂しいなあなんて思ったり。

けれどもひとりで家にいることが

やっぱり寂しく思ったり。

 

かといって家族が集うリビングから遠ざかりたくなり

そしてまたまた寂しく思う。。。

 

なんだそれ。。。

 

忙しくしているときや

子どもたちと戯れているときは

なんとなく紛れている私の寂しさ。

寂しいココロの隙間を埋めるものはなんだろう。

 

先日の診察で主治医に言われたこと。

寂しいときは綺麗なものを見るといいですよ。

 

それならばと今日のような綺麗ないい気持ちの日に

綺麗なものを見つけに行きました(単純)

 

家の花桃が満開です。

なんとも言えない綺麗な濃い桃色。

f:id:cocorony:20190416192953j:imagef:id:cocorony:20190416193008j:image

 

仕事に行くまでを少しまわり道して

桜街道(と名付けられた道)を行きも帰りも通ってみました。

桜並木と山々が遠くに見えて気持ちがいいです。

桜の下を通ります。f:id:cocorony:20190416193031j:image

 

保育園の近くの道端で見つけた花。

ほっくりこっそり咲いています。f:id:cocorony:20190416193101j:image

 

いつもの公園を散策したら

ハゲ坊主だった木が新緑に。

青空にひこうき雲も綺麗。

f:id:cocorony:20190416193115j:image

 

なんだ。

綺麗がたくさんある。

 

それでも私の寂しい気持ち。

消えないのはなんでかな。

ココロの隙間を埋めれば寂しくなくなるのかな。

それは誰かと埋めるものでもないような。

 

 

自分のココロが寂しさを決めているのだとしたら

ますます私はどうしたらいいんだろうな。

 

きっと考えすぎなんだけれど。

 

皆さんにも毎日やってくる?

さみしん坊主たち。