この間
父の好きだった
お好み焼き屋さんへ
お好み焼きを食べに行きました。
食べ物にちょっと厳しい父だけど
このお店のお好み焼きが大好きでした。
食べながら父のことを
家族で話すのは
寂しいけれど
嬉しいことでもあります。
最後に行ったのは
初期の胃がんの快気祝いでした。
摘出手術により
胃が小さくなって
少ししか食べられなかったけど
とても喜んでいました。
そのあと
腹痛が続き
病院で何度かCT検査をしましたが
毎回「異常なし」でした。
胃がん手術をされた医師の診察でしたので
「胃がんの予後は異常なし」
と言う事だったのでしょう。
なぜ。。。
胃以外の臓器も
くまなく診てくれなかったのでしょうか。
検査を受けたあの時はもう
「異常あり」だったのです。
「異常あり」は
重症になってから
違う科の医師によって
見つけられました。
医師も人間です。
見落としはあるでしょう。
でも
父はとても悔しがっていました。
家族もみんな同じ気持ちでした。
大学病院でその時の検査の画像を
見せてもらいました。
「ここです。」と教えてもらったそこには
明らかに白いものがありました。
私は
「見つけにくいものなのですか?」
と聞きました。
大学病院の医師の答えは
「うーん。まぁ。。。
見つけにくいと言えば。。
うーん。
そうですねえ。。。」と
なんとも煮え切らないものでした。
「しっかり診ていれば
見つけられたはずだった」
ということだと思い
怒りや悔しさが込み上げて
泣きたい気分でした。
父はすぐに余命を聞いて
積極的な治療を受けました。
辛くてもやめないで
治療を続けていました。
良くなることを
信じて
あきらめないでいました。
「お父さんの悔しかった気持ちは
どうしたのかな?」
ふとそう思った今日。
父がいなくなってから
2週間が経ちます。
私が癌になった時
父は出来るだけ腕のいい先生のところで
受診させようと
大学病院を勧めてくれました。
私はたくさんの病院へ電話をしたり
腫瘍専門の医師いないか探したりしました。
そして私は
隣県の大きな大学病院の
腫瘍専門の教授宛に
紹介状を書いてもらい
そこで手術をしました。
予後の経過もよく
今のところ再発もありません。
万が一にでも
再発した時のことを考えて
父は定期的な診察も
引き続きその大学病院へ行くように
勧めてくれました。
父は胃がんが初期だったため
近くの総合病院で手術を受けました。
でもあの時
他の病院、他の医師だったら
今でも父は生きていたんじゃないかと
思うのです。
胃がんの手術のときや
そのあとお腹の痛みがなかなか消えなくて
同じ病院の検査を受けているときに
もっと心配して
大学病院の専門医に診察を受けるよう
言ってあげればよかった。。。
勧めてみればよかった。。。
なぜあの時私は
そうしなかったんだろうかと
何度も思うのです。
お父さんはいつも私の心配をしてくれたのに。
お父さん。
ごめんね。
ごめんね。
お父さん。
力になれなくて
ごめんね。