「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

放たれたいもの

今日はとてもいい天気で

仕事の帰りに

つつじ公園に寄りました。

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まだ満開ではなかったけれど

青空もツツジのピンクも

とてもきれい。

鳥のさえずりも聴こえました。

 

大きく息を吸って

気持ちのいい空気を味わいました。

 

いい季節です。

風も吹いて

ウイッグもさほど暑くないし。

 

 

藤棚の下のベンチへ。

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「ああ、きれいだな。」

目で耳でココロで

自然の美しさに触れていると

泣いてしまいました。

 

 

私はココロから

放ちたいものがいくつかある。

 

それが何なのか

どれくらいの大きさなのか

どのくらい暗いものなのか

自分でもよくわからないものもあるのかも。

 

こんがらがって

ほどいて

またこんがらがって。

 

ポイッと捨ててしまいたいのに

しっかり持っている私。

 

 

放ちたい。

放たれたい。

 

この寂しい気持ちの理由は。。。

 

いくつか浮かびます。

 

そのひとつを

言葉に出して言ってみました。

 

「〇〇さようなら。」

 

そしたら

ものすごくそれが辛いもので

自分には必要がないのに

 

どうしても放たれないものが

こんなにも大きい事に

気づきました。

 

そして泣きました。

 

公園にはほぼ人はいなくて

「〇〇さようなら。」

「さようなら。」

と声に出して繰り返してみました。

 

 

やっぱりか。。。

 

これがココロを占めているもののひとつ。

 

なんだよー。

私のココロに

勝手に上がり込んで

居座らないで!

 

って。。。

いつまでも考えているのはこの私。

 

しがみついているのは

考えればいいアイデアがいつか浮かぶと

思っているからだと思います。

 

 

考えたって無駄なことを

いつまで考えてるな!って思うのに。

 

そこに人が関わっている事となると

またややこしくて

人に期待しているところも

あるんだろうなあ。

 

 

こんなややこしい私を

どうにかするのは

私自身なんだなあ。

 

 


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きれいな自然たち

ありがとう。

 

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クマ出没注意!

こわいけど。

 

私のココロに出没するものも

こわいよ。

出てこないでほしいな。

 

皆さんも

こんなことある?