「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

娘の生きづらさ

娘はいろいろ生きづらさを持っていて

いろんな心配をしては

母である私にメールや電話で訴えて来ます。

 

それを知らされたところで

すっ飛んでいくことでもなければ

行ったところで解決できるものでもなく。。

 

結局は根拠のない私の「大丈夫」を

ひたすら彼女に伝えるしかありません。

 

 

そしてそれはそんな簡単なものでもなく

私の「大丈夫」を聞けば

必ず安心するわけではないので

娘の訴えは続き

 

いつまでも同じ心配事を訴え続けてくる娘に

ちょっとイライラした私の口調により

彼女がしゅんとして諦めて

終了となることもあります。

 

解決しないことも多くて

一緒に辛くなることも。

 

 

心配の内容は不安症独特のもので

「そんなこと心配せんでいいよ」

というようなもの。

 

そんなちっぽけな心配も

娘にとってはちっぽけではなくて

それを訴えられるのは私しかいません。

 

主治医には

「娘が話をできるところを作るのは大切」

と言われているので

私に話してくれてよかったと思う反面

対処に困ってしまうこともありです。

 

 

これまでも娘はそういう特性があったし

その度に気持ちを聞いて

関わってきたつもりです。

 

でもその関わりは

娘にとってよかったのかどうか。。。

 

そしてこれまでは私が関わって

ひとつひとつ解決するようにしていましたが

最近は旦那に伝えるようにしています。

 

娘がこんなにも細かいことに不安になって

悩んでいるという状況を

父親である旦那はちょっとびっくりしていて

 

最初は

「そんなもん心配してもしゃーないやろ」

と言っていたし

話を聞いてもサラッと忘れて

テレビを見て笑ってる感じでした。

 

でも繰り返し伝え

私が根気強く娘と付き合って

気持ちを落ち着かせたことを知らせると

 

娘の症状が

なかなか大変なことだとわかってきて

それに付き合っている私の辛い状況も

わかってきてきたかなーっていうところです。

 

 

娘はわがままなんじゃないか?

なんて思うこともあります。

 

でも

違うんですよね。

それはわかってあげないと。

 

そういう性格というか

特性を持っていて

彼女自身がいちばん辛さを感じています。

 

あっけらかんと「だいじょーぶさー」と言うと

落ち着くこともあれば

話をよく聞いても

何度「大丈夫」と言っても

心配が膨れ上がってしまうこともあります。

 

私の関わりは合ってるのかと

不安になることはいまだに多いです。

 

 

でも私、お母さんだから。

娘のお母さんだから。

 

私は娘のことがずっと大切だったし

今も大事な存在で大好きでたまらない。

娘が辛いときは

どうにかしてそれを取り除いてやりたいと思う。

 

ただ。。。娘は私ではない。

娘は娘なのだ。

 

娘自身が超えなければならないことを

私が変わって解決することはできない。

 

だけどそのお手伝いが少しでもできたらいいかな。

より辛くなるような関わりだけは

しないようにと思っています。

 

 

「なんもやる気出んわー」

という娘に

「お母さんだってそうやよー」

と言ったところで

 

娘のそれと私のそれは違うんだよな。

 

 

週末に帰ってきたら

面白い話をして

たくさん笑って楽しい時間を過ごそうと思います。

 

 

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庭の雪柳が満開です。