「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

寂しさを受けとめる

長いGW明け。

保育園の担当クラスの2歳児たちは

お母さんと過ごしたお休みで

エネルギーチャージしたのか

元気に保育園に通ってくれています。

 

4月より保育園に入園したばかりの女の子だけは

予想していた通り泣いています。

ママー ママー。

そう言って手を広げて

私に抱っこを要求してくるのです。

 

私でよろしければどれだけでも。。。

いつでもどこでも抱っこします。

 

そうやって落ち着けば

お友達の楽しそうな様子が目に入り

やがて自分から遊びにいくに違いない。

その時まで待ってやりたいと思っています。

 

泣いている子どもを見て思うのです。

お母さんがあなたを保育園に預けていることを

あなたはどう思っているのだろうと。

 

あなたのお母さんはあなたのことが大好きだよ。

そのことを説明しても

小さくて悲しいあなたにはわからない分だけ

ママと離れていても寂しくならないように

私はたっぷりの気持ちで抱っこしていたいのです。

 

いつまでも悲しくていつまでも泣いているとしたら

いくつかの理由はあるにせよ

私の考えることはひとつ。

悲しくないように保育をしたい。

 

あなたが笑えるように安心できるように

抱っこをさせてね。。。

ママーーーと手を広げる不安なあなたを

保育園にいる間ぎゅっと抱きしめているね。。

 

保育園に行きたくてしょうがなくなるように

暖かくて楽しい環境を作りたい。

 

でもなあ。

これでいいのかなあ。

自問自答を繰り返している現実的なこともある。

 

それでも。

今日もいっぱい抱っこをして

明日もいっぱい抱っこをします。。。

 

 

そしてそんな私ときたら

今日も寂しさについて考えすぎている。

 

寂しさを埋めるには

子どもも大人もぬくもりかな。

やっぱり人とのふれあいやつながりかな。

 

それとも大人は自分で寂しさを埋めるべき?

 

人で埋めようとすると結局また、、、

寂しくなるものなのかな。

 

そもそも私はなんでこうやって

寂しさのことを考えてしまうのかな。

それがまずは寂しいことにも気づいているんだけれど。

 

 

やっぱり。。。

ひとりで埋めるのは難しいな。

 


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お庭のクリサンセマム。

花言葉

「誠実なあなたでいて。」