「今」を大事に生きていく

過去は変わらず未来はわからないのだから

自分の雨を降らせればいいよね

昨日の朝、娘を駅まで車で送って行きました。

 

車の中で娘が「わあ、きれい。」と言って

写真を撮っていました。

 

赤信号になり空を見上げると

青空に雲が広がっていて

本当に綺麗でした。


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空にも感動したけれど

空をきれいと言った娘の感性に

嬉しさを感じました。

 

きれいと感じるのは人それぞれだけれど

きれいをいろいろ見つけられることは

人生を素敵にしてくれるかもしれません。

 

それと、きれいを感じられるというのは

ココロが安定しているからだと思うのです。

元気のない時に

きれいに癒されることはあるかもしれないけれど

不安が広がってどうしようもない時は

きれいがそばにあっても感じ取れなかったりします。

 

ということは娘は今

きれいを見つけられるココロの余裕があるということかな。

うん。よかった(*^^*)

 

きれいを感じるには

上を向いて空を見上げるのもいい。

下を向きたくなった時には

咲いている花を見つけられるかもしれない。

 

無理しなくていいのかな。

 

きれいはいつでもそこにあって

待っていてくれるし

求めれば見つけられるものなのかもしれない。

 

でも時々、見失って寂しくなるけれど。

そんな時は空を見あげてみる?

 

あいにく今日は雨。。。

 

空だっていつもきれいを頑張れない。

 

でも、、、

この雨に草木はウヒョウヒョと喜んで

渇いたのどを潤しているに違いない。

 

そしてら今度はきれいな花が咲くよね。

こうやってきれいの連鎖が起こるのかな。

ウヒョウヒョだな。

 

私にもきれいの雨を降らせよう。

 

音楽とか

空や花の写真集とか。

コーヒーとか

ミューズリーとか

毛布にくるまる時間とか。

 

 

人それぞれにきれいの雨があるんだろうな。

 

家族へのお弁当作りとか

親子で楽しむけん玉とか。

 

みんな違ってどれもステキ。

 

ウヒョウヒョがやってくる。

きっとあとからやってくる。

 

自分の雨を降らせればいいよね。

 

 


 

 


 

 


 

 


 

 やっぱり協会のけん玉がいいかな。